疑惑






奥州にやっかいになりはじめて、しばらくしてのこと。
市中では理解しがたいうわさが流れ始めていた。

『泰衡が源九郎を打ち取ろうとしている』



屋敷にどかどかとけたたましい足音が響いた。
一つの部屋のふすまが勢いよく開けられる。

「弁慶っ!」

薄色の髪を一つに束ね終えた弁慶は、声の主に振り返った。
柳眉を寄せ、面倒くさそうに答える。

「なんですか、九郎。こんな朝早くから」

ふわ、とあくびを一つしてそこから立ち上がると弁慶は縁側へと歩みを進めた。
足を縁側の外へと下ろし、結んだばかりの髪の毛をいじり始める。

「なんですか、ではない!俺達について変な噂が流れているのを知っているか?」
「えぇ、つい一昨日くらいから、泰衡殿が……」
「俺を討とうとしているなどという戯言が市中を飛び交っているらしいな」
「そうですね。事実でしたらまずいでしょうね」
「事実なわけがあるものか。俺と泰衡、そしてお前は旧知の仲だろう」

そう簡単に友情が崩れてたまるものか、とむくれる。

弁慶はそれがどうかしたのかというように
つまんだ毛先を目を寄らせてじっと見つめている。
……枝毛……
見つけて、はぁ、とひとつ溜息。

「弁慶、真面目に聞いているのか?」
「ええ、至極真面目ですよ」
「……」
「しかし、問題はそれが事実でないと周りに証明することですよね」
「ああ。まずは真相を知らねばな 万が一、俺達が泰衡にうとまれているのだとしたらそれは大事であると思う」
「まあ、そうでしょうね。もしそうであるならば、大変ですね」

思案顔で弁慶は中庭の池を見つめた。
池と言っても、今は極寒の中凍てついて氷におおわれている。
そして、またため息をひとつ。

「誰かに、”真実”を流してもらうのが一番手っ取り早いんですけど」
「それだ。だが、誰に頼めばいい?」

鳥の鳴き声が白みだす空に響いていた。
どうすればいい?という声が
朝の空気にとけこんで、そのまま消えてしまった。
まるで答えと一緒に消えていったかのように、その次は何も会話が生まれない。

「……」


廊下に、今度はしゃっしゃっと足早で、それでいながら静かな足音が聞こえてきた。
小さな咳ばらいが聞こえる。

「泰衡!」

九郎は泰衡にかけより、詰め寄る。

「きいたか、あの噂……」
「ああ、源氏の御曹司殿が俺を討取ろうともくろんでいるとかいう話か?」

フン、と泰衡は鼻で笑ってみせる。
そして、大層なものだ。と嫌味たらしく付け加えた。

「なっ!?」

九郎は驚きに目を見開く。

「どうやら二つの噂が流れているようですね」

弁慶はクスクスと笑っている。
そんな場合ではないのだが。

「泰衡!俺にそんなつもりはない。わかっているな?」

九郎は多少焦った様子でたたみかける。
泰衡は顔をしかめ、一瞬黙って見せた。

そして、すぐに笑って答えた。

「フン、……どうだかな」

「……っ、泰衡?」

「状況はどうなのか、考えてもみるがいい。
 お前は源氏の御曹司。総大将の頼朝に見放された今
   新しい国を築くならばこの奥州を狙うのも理屈としては通るだろう」
「そんな、……俺が恩人にそんなことを」
「世間の目がどうかということを言っているんだ」
「泰衡……」
「つまり、俺だってお前が頼朝に追われる身であるからして
 頼朝に命を狙われればお前を差し出し兼ねんということだ九郎」

「泰衡っ……!おまえそんな風に思って……」
「落ち着け、源氏の御曹司」

クックッと喉の奥で笑って泰衡は自分の肩を掴んだ九郎の手を
やんわり掴んでおろした。

「世間の目 の話だ。これが俺の真実かどうかは、お前に知る由もなかろう」
「泰衡!?」

泰衡はくるりと踵を返し、九郎と弁慶に背を向ける。
強い風が吹いて、庭の木々の雪を落とした。
どさ、という音が妙に大きく、悲しく響いた気がした。

「さあ、御曹司殿も軍師殿もこんなところで油を売っている暇などはないのではないか?」

「ええ、神子がおまちでしょうからね。僕は失礼させていただきます」

縁側の板をギッときしませて弁慶は立ち上がった。
そして、呆れたように笑って泰衡と逆方向へ歩き出す。
九郎は途方に暮れ泰衡の後ろをついて追った。

「泰衡!」
「……」
「泰衡……!」

呼びかけても答えは返ってこない。
ただ頑なに奥州を背負う男は前を向いていた。

「違うと言ってくれ、泰……っ」

急に、空気の色が変わる。
泰衡の眉間に深く刻まれたしわが、さらに深くなった。
くるり、と振り返り、一言だけ発する。
「お前は、言ったところで……信じるのか?」
「ああ、もちろんだ」
「世間は信じないだろうな。俺がお前を打ち取らずとも
 お前が俺を打ち取らずとも、世間の派閥が放っておかない」

一瞬だけ、悲しそうな色が見えた。

「最悪の事態だけは避けたい。しかし、最悪の事態は予想しておけ」

「泰衡……?」

 俺を信じてくれるな。

唇だけがそう動き、泰衡は自室へと歩みを進めていった。




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「えええ!?そんな噂が流れてるんですか?」


望美の驚く声がやたら大きく響いた。
新緑色の瞳をぱちくりさせて、身を乗り出してくる。

「ええ、なんだか厄介な噂が流れているようなんです。
 ですから、市中へ出かけたときは源氏の神子であることを公にしないように」

弁慶はにっこりとわらって人差し指を口に当てて見せた。
君の安全のためにおねがいしますね。と付け加えて。

「私の安全とか、そんなのどうでもいいですよ!
 そんな誤解があるままじゃ、私達ギクシャクしちゃいます」

そばに控えていた銀も、首をひねって考え込む。

「いったい、誰がそのような噂を流しているのでしょう」

銀は心底心苦しいといった風に胸を押さえ、考え込んでしまう。

「銀、そんな背負い込まないでいいよ。私達が何とかするから!」

望美は鼻息荒く言い放つと立ち上がった。
「さ!犯人探しだよ!」

あわてて弁慶は制止する。
「まってください」

銀も、そっと望美の手を取って首を振った。

「まだ情報が少なすぎます。人か、怨霊かすらわからない……」
「僕たちが先に情報を集めてきますから、ある程度明らかになってからことを進めましょう」

君は待っていてくださいね、と笑う弁慶に、望美はふくれっ面で返した。
「私、そんなに頼りないですか?」

「そうではありません、神子様は尊きお方ですから、傷つけるわけには参りません故」

銀はふかぶかと頭を下げ、付け加えた。
「非礼をお許しくださいませ」

そんな風に言われては望美も反論できない。
尊いかどうかは別として浄化の力をもつのは自分しかいない。
仕方がないといえば、仕方がない。

「……わかりました。なにかわかったら、連絡くださいね」


その一言に安堵し、男二人は館を出る。



「弁慶殿」

銀が不意に口を開く。
弁慶は自分の半歩後ろを歩いていた銀に目線を向けた。

「どうしました?」

「……泰衡様は、……本当に九郎殿を?」
「なにいってるんですか。噂はあくまで噂でしょう」
「ええ……しかし、あのお方は時に大変非情でいらっしゃる」
銀は眉を寄せ、うつむいた。
弁慶は言葉に困ったが、すぐに切り返す。

「大丈夫ですよ。彼は彼なりに考えているでしょう。
 僕たち、昔は悪ガキではあったけど……大親友でしたから」

その思い出を無下にできるほど冷たい人間ではないでしょう。
そういって弁慶は歩みを進めた。
その言葉の裏に秘められていたことは

その思い出を無下にできないほど 彼は甘いでしょう---------


「さ、今日は日が落ちるくらいまでは探してみましょうか」

「ええ、左様でございますね」









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一方泰衡は、部屋にこもり資料をあさっていた。
鎌倉勢の規模だとか
来るとすればどの方角からくるだろうとか
細かなことまで、綿密に調べ上げる。

夜になるころには、すっかり文献はまとめあがっていた。


「……これくらいしか俺には能がないからな」

ちいさく自嘲をもらして泰衡はその場にぺたん、と座り込んだ。
少し疲れた。
何種類もの文献を読みあさり、眼の奥が痛い。
小さく呻き、伸びをする。

少し休もうか。
体を横たえる。

泥のように眠ってしまいたい。
何も考えたくない。
許されるなら、このまま闇に溶けてしまいたい。
夕飯も取らずに、泰衡はまどろみの中へと落ちて行った。

暑い。
いや、熱いんだろうか。
最近の無理がたたって体温が上がっていることに気づいた。









懐かしい声がした気がした。

犬が、吠えている。


かなり、遠くの方。



「……ひら、やすひらっ」

目を開けてみると、みかん色の髪を高く束ねた少年が
子犬を抱いてこちらへ走ってくるのが見えた。

「……九郎?」
「泰衡、こいつ、かわいいだろう!」

抱きかかえた子犬をほら、と自分の顔面の真ん前につきだしてくる。
子犬は小麦色の毛並みで、タヌキのような間抜け顔のまま
舌を出し、へっへっと笑っているように見えた。

「……」

眉間にしわを寄せる。
このころからの癖だったか。
別に不服があるわけじゃない。
子犬も素直にかわいいと感じた。

「かわいくないか?」
「どこでひろってきた?」

子犬はきゅん、と一声鳴いて、九郎の腕からすり抜けようともがいた。
落ちそうになる子犬にとっさに腕を出すと、子犬は泰衡の腕にしがみつく。

「……」
「さっき散歩していた街道で座り込んでたんだ。握り飯をやったら喜んでついてきた」

泰衡の腕の中の子犬をなでながら、九郎は笑う。
遠くから、弁慶が走ってきた。

「九郎……っ、九郎!なにしてるんですか?」
「あ、弁慶!犬をな、紹介していたところだ」
「全く、僕を置いていかれては困りますよ」

買い出しの最中だったのか、腕に野菜を抱えて弁慶は困り顔をして見せた。

「ああ、すまない」

弁慶の抱えてる荷物を半分受け取ると、九郎は邸のなかに入って行った。

「九郎っ、犬はどうするんだ」

泰衡は犬を抱えたまま放っておかれそうになり、九郎の後ろ姿に叫ぶ。

「ああ、飼っていいだろう!?」
「は!?」
「ああ、泰衡殿。九郎は言い始めると聞きませんよ」

にこ、と笑い、弁慶も九郎の後を追って邸の中へ歩みを進めていく。

「く、九郎!」
「なんだ、泰衡!」
「犬の名はどうする!?」

犬は泰衡の腕の中で目をキラキラさせて尻尾をちぎれんばかりに振っている。
もっと聞くべきことはあった気がする。
お前が面倒見るんだろうなとか
まだ父上の許可を得ていないだとか。

「そいつ、背中がきらきらしてる!くがねなんてどうだ?」
「金……」

呼ばれた子犬はうれしそうに一声鳴いた。
わん、と響いた声がまるで礼のように聞こえた。

自然と顔がほころぶのがわかった。




「泰衡、昼飯をたべたらそいつの散歩に行こう」
「……ああ」







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「……ひら、……泰衡!」




遠くから声がする。
懐かしい声が聞こえる 気がした。


「ん……」

体が、重たい。



「なんだ。九郎か」

「……」

驚いた顔をして、一瞬言葉を失った。

「フン、どうした」
「いや、その呼び方は久々のような気がしてな」

昔を思い出すな、と九郎は屈託のない笑顔を見せる。
泰衡は妙な気がして顔をそらした。

「……」

疲れているから、あんな夢を見たんだ。
夢のままの気持ちでいたのか、人称まで変えてしまったのだろう。

「御曹司などと呼ばず、今まで通り接してくれて構わないのに」
「仲良しごっこなど、虫唾が走る。やめてくれ」

皮肉をこめて泰衡が笑うと、九郎はすこし悲しそうな顔をして切り返す。

「実際、仲が良かったと思うんだがな。俺の思い違いか?」
「……さあな」

また皮肉な笑い方をした泰衡は静かに上体を起こした。

「よく眠っていたぞ。よほど疲れていたんだな」

お前が無防備に眠っているところなんて、何年ぶりにみただろうなと
九郎はからかってみせる。
泰衡はまた眉間に深いしわを作って睨みつけた。

「余計なことは言うな」

「無理はするな、きっと疲れているんだろ?」

九郎は立ち上がろうとする泰衡を制止した。
泰衡は立ちくらみがしてその場にしゃがみこむ。

「……」
「大丈夫か?」
「大事ない。少し頭が痛む、それだけだ」
「それだけじゃないだろう」
「なにを」
「お前はつかれると顔に出る!」
「嘘を吐け」
「何年来の友人と思っているんだ。お前は疲れると眉間のしわが深くなる!」

九郎はそう声を張り上げて断言する。

「……外が、暗い……」

泰衡はため息をついた。
冬はただでさえ日が落ちるのが早い。
時間を無駄にしてしまったといらだちをあらわにした。

「ああ、もう亥の刻だ」
「……っ」

ひとつ舌打ちをして、泰衡はもう一度立ち上がろうとした。

「無理をするなと言っているだろう」
九郎は腕を引き、また座らせる。

「顔が青白い」
「いつものことだ」
「そんなわけあるか」
「かまうな」
「いやだ」

しばらくの沈黙の後、泰衡はため息をついた。

「ああ、それでいい」

無理をしないとわかり、九郎は安堵する。

「すこし、手が熱いぞ」
「……そうか?」

泰衡はまたため息をついた。
息が、熱い。きがする。

「……風邪だな」
「違う」
「風邪だ!」

九郎はまた声を張り上げる。

「お前は昔からそうだ。頑固で、すぐ無茶ばかりする」
「うるさい。お前こそ頑固なのは同じだ」
「お前の場合俺よりタチが悪い。人の助言を聞かないからな」
「お前も同じようなものだ。俺の忠告など聞いたことがない」

早口でまくしたてるように二人は言い合う。

「……お前の声、頭に響く」
「……なんだ、やはり具合は良くないんじゃないか」
「頭は痛いといった」
「……頑固だな」

呆れたように九郎が笑った。
泰衡は見下された気がしてすこし苛立った。

「何を笑っている」
「昔と変わらないと思ってな」
「性根がそう簡単に変わるか」
「安心したんだ」

九郎は屈託のない笑顔でそんなことをいう。

「安心など、するものではないと思うがな」
「なぜだ?」
「言っただろう。昔とは、状況が……っ」

言おうとしたとたん、泰衡が激しくせき込む。
息を乱し、喉の奥からひゅーひゅーと風の音をさせた。

「お前、悪化しているんじゃないか?」
「フン、直治るさ」

強がる時の癖だ。
口角を、左だけあげる。
変わっていない。

「寝ていろ」
「お前に指図されるいわれはないな」
「寝ていろ!」

九郎の怒声に一瞬ひるみ、泰衡はしぶしぶ衝立の向こうの褥へ行こうと立ち上がった。
少しおぼつかない足で、ふらふらと壁伝いに歩く。

「つかまれ」
「結構」
「そんな場合か、馬鹿!」

強引に泰衡の腕を肩に回し、九郎はずかずかと
人の寝どこへとはいって行った。

「……余計な世話と言っている」
「だいぶ熱が上がっているぞ。全く、どこまで強がりなんだ」
「お前にだけは言われたくない」

布団の上に座り、泰衡は髪を解いた。
長い黒髪が、背中に広がる。

「着替える」
「ああ」
「なぜ、見ている?」
「ん?ああ、すまない」

九郎は泰衡に背を向け、笑った。

「昔は風呂も一緒に入ったのに。なんだ?そんなに見られたくないのか?」
「俺の裸など見てどうする?」

嘲笑が聞こえた。
顔を見なくてもわかる。
九郎は鮮明に想像できる泰衡の顔に苦笑し、言葉をつづけた。

「なあ、俺達はあの頃からそんなに変ってしまったか?」
「さあな」
「そればかりだ」

ふう、と息を吐いて九郎はふすまを開けた。
細い月が、済んだ冬空に映えている。

「この邸から見える景色は全く変わらんのにな」
「何を月並みなことを」

泰衡はごそごそと服を脱ぎながら笑った。
陳腐なセリフは止せと言わんばかりに服をたたんで床に大きめの音を立てて置く。

「時間が変えたのか?」
「いいや、違うだろうな」

泰衡は枕元に置いてあった寝間着をひっつかんではおると
ゆるく袷をしめて腰のあたりで適当に帯を結んだ。

「状況が人を変えるんだ。九郎」

こっちを向いてもいいぞ、と泰衡は九郎を呼ぶ。

「なんだ、出ていってほしかったんじゃないのか」
「……」

むっとした顔で泰衡は九郎を見た。

「出て行ってくれるならそれに越したことはないが」
「はは、そう言ってくれるな」

九郎は笑いながら泰衡の方を向いた。

「見ろ、月だ」
「……ああ、月だな」

それがどうした、と泰衡は無関心に言った。
九郎は口を尖らせて切り返す。

「あの頃も、こんな月が見えたと思ってな。懐かしいだろう」
「懐かしい、か。記憶……思い出など、なんになる」

泰衡は自嘲気味に、それでも少し悲しげに月を見上げた。

「何も考えなくてよかった。敵も味方もなかった」
「ああ」
「俺たちはただ自分の思うままに野を駆けたり、笑ったり」
「止せ」

泰衡はいらだちをあらわにして九郎の話を遮った。

「そんな……そんな昔のことを思い出してなんになる」
「……」
「それを思い出したところで今更……!」

言おうとした後、泰衡は拳を握りしめ、
歯を食いしばったまま何も言えなくなった。
石のように表情を硬くしたまま、俯いて、それから雪の音しかしなくなった。

「泰衡」
「……」
「状況は確かに違う……と思う」
「ああ」
「俺達は……変わってなくなんか  ない」
「……」

気まずそうに九郎は切り出した。

「朝のことは、うわさにすぎないだろう。俺はお前が俺を殺すなんてことは」
「……」
「今のところは ないと思っている」
「ああ」
「しかし、態勢が揺らいだならば、お前の立場上俺の存在は厄介なものになるだろう」
「……ああ」
「そうすれば、お前は俺を……」

九郎は鼻の奥の方がつんと痛くなってくるのを抑えながら言葉をつづけようとした。
つづけようとする中で、眼に熱いものが降りてくる。
駄目だ。と思ったときに声が降ってきた。

「言うな。九郎」
「その時は、泰衡……俺は殺してかまわない。ただ、仲間は……」
「言うな!」

泰衡は自分でも驚くほどの声をあげていた。
一瞬、月が雲で隠れ、明かりが薄くなる。
雪明りの中、泰衡は自分の表情を隠そうとうつむいた。

「……っ言うな、九郎」

声が、泣いていた。


「あれは下らない噂に過ぎぬ」
「では、なぜすぐに否定してくれなかった!」
九郎も声を荒げ、泰衡の肩をつかんだ。

顔をそらし、目線を合わせないように泰衡はつぶやく。

「お前に、俺を信じてほしくなかった」

「何を言ってるんだ?」

「……お前は、馬鹿正直だ」
「何を」

九郎もその台詞には腹を立て、すぐに反論しようとする。

「俺とお前とは確かに昔は良い友人だった。
 しかし、状況が違う。それでも、まだ俺を微塵も疑わず接してくる」
「ああ」
「俺は平泉の当主として、生きなければならない。お前一人の命を守ることはできない」
「重々承知だ」
「だが」


泰衡はようやく顔をあげ、九郎と目線を合わせた。
黒い瞳は涙でぬれていて、ちょうど金が子犬だったころのようだった。

「お前を殺せはしない……」

「……っ、じゃあ、お前」
「切りあいになればきっと、お前は刃を曇らせるだろう」
「……」
「お前も俺を殺そうなどと考えてはいなさそうだからな」
「…………」
「今、憎んでもらえたなら……その運命も変えられると思った」

種明かししては意味がないがな、と
泰衡は悲しそうに左口角を釣り上げて笑った。

冬独特の風の匂いが、やけに強く感じた。
その匂いもあの頃と変わらないのに。









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