疑
惑 後編
「……
言ってくれて良かった泰衡」
少しの沈黙の後、九
郎は右口角だけあげて笑った。
「……っ?」
それがあまりに妖艶な笑い
方だったので、
ほんの少し背筋がぞっとしたが、泰衡は悟られないよう体制を立て直す。
「う
まく口を割らせることができてよかったと思っている」
「何を……」
九郎はより笑みを深める
と、泰衡の肩を押し、その上に馬乗りになった。
視界がいきなり変わり、目の前が天井と九郎の得意げな笑い顔になった泰衡は
目
を見開いて驚きを隠せない様子でいる。
それに、九郎は声をたてて笑った。
「どちらが甘いの
か、わかったものではないな、泰衡」
馬鹿にしたように言い捨てて、九郎は愛しそうに泰衡の額に口づけた。
「……っ
馬鹿にしているのか」
「ああ、馬鹿にしている」
さらりといいのけ、九郎は泰衡の眉間をつつ
いた。
「皺が寄っているぞ」
「うるさい」
九郎の
胸に手をつっぱって跳ね返そうとするが、
思いのほか九郎は本気なのか動く気配がない。
「な
んだ、いきなり」
「なにについても、お前は甘いと言ってるんだ」
九郎は笑いながら懐剣を取
り出し、泰衡につきつける。
「俺がただのバカ正直と思ったか?」
「……っ、くろ……」
泰
衡はのど元に当てられた冷たい感覚に驚きと、それから
なにかさみしさを感じて動けなくなった。
「俺
は源氏を背負って立つ立場だ。お前と同じく……
仲間を守るためなら多少の犠牲はいとわないさ」
「……」
彼
の言葉に先ほどまで自分が言い続けた言葉を思い出す。
ああ、同じ仕打ちをしたんだから
仕方がないか。
覚
悟をきめて目を閉じた。
「馬鹿だな。泰衡」
「……ああ」
来
るかと思った痛みがなく、
板の間になにか金属が落ちる音がして
それからふいに九郎の香りが近くなった。
「……
あつい、九郎」
「お前を殺すはずがないだろう」
やっと気がついた。
抱
きしめられているんだと。
「くるしい、はなせ」
よくわけのわからない
状況、制御できない感情と
目の奥の熱さにあいまって、風邪のけだるさに泰衡は眉をひそめた。
「離
さん」
「離せと言っている」
「いやだ」
泰衡は困り果てて目を泳がせ
た。
九郎が少し涙声になっている気がした。
だらりと体の横におろしていた腕をゆるりと持ち上げ、
よ
うやく九郎の背中に回し、やさしく撫でてみる。
「……」
「お前がどこかへ消えるのは、我慢
ならない」
「馬鹿だな。俺はどこへも行かん」
不器用ながら泰衡は九郎の髪を撫でた。
こ
いつの髪は陽だまりの匂いがする。
おずおずと手を伸ばし、絡まっていたひと房を解いた。
落
ち着いたのか、九郎はようやく抱きしめる腕をゆるめて泰衡の顔を覗き込んだ。
「あの頃より、俺はずっとずるく
なった」
「そうか?」
「ずっと、貪欲になった」
「ほう」
「無くしたく
ないものも増えたし、欲しいものも増えた」
その言葉の直後、九郎の瞳の奥が強い意志をみせたように感じた。
そ
のまま、布団に叩きつけられるように押し倒される。
闇に溶けるような黒髪が方から滑り落ちて、布団から落ち、板の間にまで広がった。
痛
みと驚きに目をつぶっている間に、九郎は覆いかぶさってくる。
「九郎、何をしているっ……」
「お
前だ」
「何が」
「失いたくない」
真
剣な面持ちだが、やっていることが腑に落ちない。
泰衡は不機嫌そうにせき込み、制止した。
「で?
なにをしている?」
精一杯虚勢を張るが、内心では心臓が張り裂けそうなほど脈打っている。
ぎゅ、
と握られた手が熱かった。
「あの噂を聞いた時、嘘だとすぐにわかっていたが
それでも最悪の事態を考えるといてもたっても居られなかった」
「ふん……」
「最悪の事態……というのは」
「な
んだ?」
「俺が殺されることでも、仲間が殺されることでもない」
それ以外にいったい何があ
るという、と泰衡はため息をついた。
九郎はきっぱりと断言する。
「お前に触れられなくなる
ことだ」
こいつはなにかトチ狂ったんじゃないか。
泰
衡は怪訝そうな顔で九郎の真剣な瞳を見つめる。
「ふん、そうなったところで、何が困るんだ?」
「ま
だわからないか」
九郎はため息交じりで泰衡の頬をつかみ、そのまま無遠慮に唇を重ねた。
「……っ、
くろ」
「黙れ」
「ぅ……」
口内がやたらと熱かった。
す
こし、塩臭い感じがした。
泣きは嘘ではないか。
こんな時にまで冷静に判断できる自分がおかしくて、
泰
衡は少し笑った。
「なんだ?余裕か?」
九郎は不機嫌そうにもう一度唇
を重ねてくる。
二度目はさらに無遠慮に、奥まで入りこんでくる。
「……っ、う、……ん」
声
が洩れる。
熱い感覚と、生ぬるい感触に半分怯えながら
今度こそ思考がうまくいかなくなるのを感じた。
「っ
は、くろ……う」
「うるさいな……余計な事を云う口なんて、なくていいんじゃないのか?」
九
郎はようやく解放すると、鼻で笑って泰衡を見下した。
妙に冷たい目線に、すこし、いやかなりの恐怖をおぼえる。
息
が上がって、肩で息をしていると九郎は満足そうに笑った。
「なんだ、変わってないな。体力がないところは」
寝
間着の袷から手を差し入れ、泰衡の胸のあたりで止める。
「やめろと、言っている……っ」
「い
やだと言ったら?」
「……っ」
「泰衡、お前にはどうすることもできないんじゃないか?」
九
郎はくつくつと喉の奥で笑って寝間着の袷をゆるめ、はだけさせた。
寒さと怖さで、身を強張らせる。
「変
わってないわけが、ない……」
「……は?」
九郎が乱暴に泰衡の上半身で遊んでいると、
泰
衡はぼそり、と一つ洩らした。
「俺はあの頃より非情になった。人の命を何とも思わないこともある」
「ほ
う」
聞いているのかいないのか、九郎はまた泰衡の唇を執拗に奪う。
何度も角度を変え、息継
ぐ間を与えずに舌をからめ捕り、音を立てる。
泰衡は黙って逃げようとするが、それ以上に九郎は巧みに動くので
あ
がきも虚しく抑え込まれてしまった。
「っ……は、……」
「そんなに非情なら、俺の舌を噛み
切ってはどうだ?」
「……っ」
息を荒げ、口の端を伝うどちらのものともつかない唾液をぬぐ
う。
泰衡は自分の上で得意げに笑う男をきっと睨みつけた。
「お前が凄んでも、普段と変わら
んな」
「な……っ、んん、っ」
もう一度、口づけるより早くに舌をからめる。
だんだんと、ど
うでもよくなってきた。
「噛み切らないのか?」
「……」
「はっ、どこ
が非情だ」
泰衡は、何か力が入らずにだらりと腕を布団にうずめて
定まらない焦点のまま九郎
を見つめた。
「……お前は、別だ」
「泰衡……?」
九
郎は少し驚いた面持ちで、泰衡の頬に手を添えた。
熱なのか、行為に浮かされているのか、熱い。
「……」
そ
して、この上なく優しく触れるだけの口づけをした後で、
九郎は歪んだ笑顔を見せた。
「それ
は、この行為に対する肯定か?」
「……っ、ちが、……」
「積極的だな。悪くないが」
否定の
言葉をかき消すように下腹部へと手を伸ばす。
「触るな、……」
「何言ってるんだ?そう言っ
ておきながら、ずいぶん嬉しそうだぞ」
九郎の手のひらに力が入る。
声が上がりそうになるのを必死にこらえて下唇
を噛むと、うっすら血が滲んだ。
「ああ、血が出てる……」
九郎は残念そうにつぶやいてぷつりと滲んだ赤い点を舐
めとる。
「……っひ……」
生暖かい感触が這うのを感じて口をゆるめた瞬間、声が漏れた。
九
郎は満足そうに笑って空いた方の手で泰衡の頭をなでる。
「そう、それでいいんだ」
「……っく、ろ……」
「もっ
と呼べ」
悔しくて、握りこぶしを強く握りしめた。
爪が食い込んで、次はそちらからも血がにじむ。
掌
の異変にも気づき、九郎は泰衡の手をとった。
「手、開いてくれるか」
「……ぁ、……っ」
す
でに言葉にならない中、泰衡はされるがままに手をこじ開けられた。
九郎の手の方はというと、もうだいぶ汚れている。
「自
分を傷つけるのは、やめろと言っている」
掌の傷に舌を這わせ、九郎は残さず血を拭っていく。
「ああ、あと、お前
のものは一部分だって誰にもやらん」
意味のわからない言葉を吐いて、九郎は笑った。
「たとえお前が誰かに打ち取
られたとしても
その首、その顔、その髪の毛一本に至るまで、渡してたまるか、ということだ」
ひどい独占欲だ、
と朦朧とした意識の中泰衡は怖くなった。
同時に、どういうことだかわからなくなった。
「……ぅ、
お前は、……一体……何を考えている?」
「そんなの、自分でわかってくれ」
九郎は馬鹿にしたような眼でそういう
と、先ほどまでなめていた掌を
布団の上に投げ出した。
ぱさ、と乾いた音が響く。
そのあとす
ぐ、ぴり、とした痛みが走った。
「っつ、……な、に……」
「狭い。動くな」
泰衡の中で指を
曲げ、九郎は不機嫌そうに言い捨てた。
「く、ろっ……何故、」
「黙れ、うるさい。余計な疑問など聞きたくない」
「ぁ、……っ
ひ、……」
細切れに上がる声を抑えようと、また唇を噛もうとする。
けれどそのたびに舐めとりに来る舌が嫌で、だ
んだんとあきらめに入ってきた。
あられもない声が上がっていると思うと気味が悪くて、泰衡は眉を寄せる。
「おま
えのことしか、考えてない」
一言だけ、そう言い捨てて、九郎は笑った。
その笑い方が優しくて、少し安心したが、
し
ていることは非道極まりない。
痛みしかない中で、泰衡は必死に声を殺していた。
「全部俺のものになればいい」
「な、……ぁ……」
「な
あ、ひとつ気づいたことがある」
指を引き抜き、九郎はふと思い立ったように言った。
「なんだ?」
急
に痛みから解放され、一息つく間に
九郎は次は太股を抱えあげる。
そして内腿にひとつ噛みついて跡を残した。
一
点だけ火であぶられたような痛みが走る。
「っ、た……」
「お前、痛がりだな」
「な、……っ
うぁ、ぁ!」
言った瞬間に、激痛が走る。
先刻までのゆるゆるとした痛みとは比べ物にならない痛みに
泰
衡は冷たいほどに整っている顔を歪めた。
冷汗が伝ってくるのがわかる。
「やっぱり、痛がり
だな」
無神経な言葉に、泰衡は反論しようにも言葉が出てこない。
どんなに言葉を紡ごうとしても、意味のない文字
の羅列になる。
「狭い。力抜け……っ」
九郎も柳眉を歪めて泰衡の額の汗を拭ってやった。
「っ、……
やめ……ろ、」
否定の言葉をやっとのことで吐き出す。
九郎はその言葉に反論する代わりに腰を打ちつけた。
「ひ、ぁ!……っ、…」
息
を吸い込むのも、吐き出すのもうまくいかない。
乱暴過ぎて、意識がついていかない。
「いっ、た……、く
ろ、っ……」
目線を合わせないように首を横にして、
必死に痛みに耐えているのを見て、九郎はまた笑った。
「そ
れでいいんだ」
「……、くろ、う」
九郎、という言葉と、それから息を吸い込む音、吐き出す音しか出なかった。
熱
い。体の内側も外側も焼かれるように熱くて、眼をきつく閉じた。
「気づいたこと、一つじゃなかったな」
「……
な、……」
なんだ、と聞きたかったけれど、それ以上は口が付いていかなかった。
「お前、こ
の行為中なら、 俺のことを 御曹司 と呼ばない」
「……っ」
顔が熱くなった。
当然といえ
ば当然のことだが、改めて言われると
まるで自分がよがっているかのような言いざまに焦る。
「悪
くないな」
「……馬鹿っ……」
「お前に馬鹿にされる所以、どこにあるんだ?」
九
郎は眉をひそめ、不機嫌な表情を露わにして泰衡の顔を覗き込んだ。
「呼ぶな、というなら、……呼ばない」
「……」
「九
郎」
ひとつ、優しい声色で言って泰衡は九郎の髪を撫でた。
昔と何一つ変わらない猫っ毛が柔らかく掌をくすぐ
る。
「……っ」
九郎は辛そうに視線をそらし、そしてごまかすように笑いながら視線を戻した。
「な
んだ?誘っているつもりか?」
「……違う」
「違わないな」
お前の違うはいつも否定をなさな
い、と言いながら
九郎は泰衡の手を握った。
「言っておくが、今回はお前が全部悪い」
「っ、う、何が……っ」
反論しようとすると九郎は掻き乱すようにして泰衡を黙らせた。
黙らせるという表現には語弊があるかもしれない。
黙らせる、もとい言葉として話せない程度に追い込んでいく。
がくがくと揺さぶられて意識が飛びそうになるのを抑え、泰衡はようやくひとつ言えた。
「 」
「……!?」
驚いて息をつめると、瞬間、意識を失ったのか泰衡の体から力が抜け、
深く息が吐かれた。
「……聞き間違い、か?」
九郎は自身を引き抜いて汗をぬぐい、泰衡の身なりを整えて
その瞼に唇を寄せた。
ぴくり、とひとつ痙攣したが、寝息は乱れることなく深い眠りに落ちていく。
「もう一度、ききたい……」
-----俺も お前を失いたくはない。
------------------------------
空が白み始め、鳥たちが囀り始める。
今日も雪だった。
泰衡は、いつも通りの時刻に目を覚ます。
「泰衡殿、起きていますか?」
弁慶の声が優しく聞こえた。
「ああ、入れ」
ギシ、と床板がきしみ、弁慶と銀が笑いかける。
「昨日なんですが、噂の発信源を押さえました」
「……そうか」
「どうやら鎌倉勢かな?送り込まれた伝令のようです」
全く厄介なやつもいたもんですといいながら、弁慶は腕を組み直し、話を続けた。
「それで、こてんぱんに伸しておきましたよ」
「ああ、手間をかけさせたな」
銀に眼で合図すると、銀はうなずいて部屋から出て行った。
朝湯を入れるため、風呂場へと向かっていくのである。
「あと、熊野のカラスにわれわれの友好状態についての噂を流すよう指示しました」
「……余計な事を」
「争いを避けるためです。悪くないでしょう?」
「……フン」
うなずくとも、否定するとも取れない笑い方をすると、弁慶は
やれやれといったような素振りを見せて部屋から出て行った。
直後に、どたどたとけたたましい足音が聞こえる。
「泰衡っ!」
「……御曹司殿か」
九郎が、許可も得ずに部屋へと踏み入ってくる。
しかも、金をつれてだ。
「弁慶がいろいろ根回ししてくれたおかげで、俺達の疑惑は晴れそうだぞ!」
「ああ、聞いた」
「久々に、金の散歩でも行かないか?」
昨日のことは何かの間違いだったか。
そう思いながら、泰衡は立ち上がろうとする。
「……っ」
うまく、腰が立たず焦りながらよろよろと立ち上がろうとすると
九郎は昨夜の笑い方を見せた。
「無理、しないほうがいいぞ泰衡」
「……っう」
「ああ、あと……」
「御曹司と呼ぶな」
その一言は、あっけらかんとした太陽のような笑い方で、
それでいて低い声に泰衡はびくり、と肩を震わせた。
「ふん、それにしても俺とお前が オトモダチ か。愉快なものだな」
かき消すように嫌味を言ってみせる。
九郎はどっかとその場に座り、ふらついていた泰衡の腕を引っ張って
自分の膝へと倒れこませた。
「オトモダチ?」
心底愉快そうに笑って九郎は吐き捨てる。
そして、軽く口づけて一言添えた。
「いいや、お前は 俺のモノ だ。泰衡」
誰にも渡さない。
と宣言して、腕から泰衡を解放し、立ち上がった。
「さあ、金が外で待っているぞ。はやくしろよ」
縁側から降り立ち、九郎は口笛を吹いて金を呼んだ。
少しの間の後、
わがままな友人に困り笑いをして泰衡はようやく素直に答えた。
「ああ、九郎……今行く」
END