緋色 

 

 

 

 

 

 

―――――どうすれば 君のその緋色の瞳に 僕を映してくれるだろう

 

「湛増。……どこを見つめているんですか」

「……」

「こんな時くらい、僕に集中してくれても良いでしょう」

「無理だね」

長い口づけの後、ヒノエは決まって弁慶から瞳を逸らした。
ふてくされたような表情で、弁慶と視線がかち合わないように天井、壁、外へと視線を移動させる。

「……つれないな。全く」

弁慶は苦笑いをしてヒノエの髪を片手で梳く。
ふわふわとした猫っ毛は弁慶の手に赤く絡んでは流れる。

「……」

「何か言ったらどうです」

ヒノエは必死だった。

隠した想いに気づかれるのが嫌で
ひたすら視線を逸らして
瞳の奥に秘めた想いを押し殺すことに専念していた。

目を合わせて見ろ。ほんの少しでもこの瞳を見られたら
あいつは頭に乗ってつけ上がるに決まっている。

「……知ってるんだろ?」

「え?」

行為の後にヒノエが決まってする問い

わざと弁慶はわからないな、と言った顔をする。

「知ってるんだろ」

もう一度念を押すように言ってから、ヒノエは弁慶を睨み付けた。

「……なんのことですか?」

「……しらじらしい」

あんたはいつだってそうやって言わせようとする。
でも、絶対に言ってやらない。

ヒノエは怒ったように言うのと正反対に
弁慶の胸元に縋り付く。

言葉の代わりに。

 

「好き でしょう?」

「……どうだろうね」

 

弁慶はヒノエの猫っ毛を撫でながら、額に優しく口付けた。
ヒノエはそのたびに何度も泣きそうになるのを堪えた。

そんなに愛されても 素直に答えられない

 

―――――どうすれば、君を独占できるだろう―――

 

 

 

 

弁慶は望美に無理を言って、望美を元の世界に返した。
その行為をヒノエは理解できなかった。

 

「あんた、本当にいいわけ……?」

「なにがですか?」

「……諦め、付いてないんじゃないの?」

「何を……。僕は元々彼女に気なんて有りませんよ」

守るべき人を守らねばならなかったから、ただ使命を全うしただけのことです

と、弁慶は淡々とした口調でヒノエに語る。

「はぁ?」
「君が考えるような素敵な関係ではなかったんですよ」

絶対嘘だ。
はぐらかされてる。

「……あのさぁ」

「はい?」

「あんたって ほんとわけわかんない」

じゃあ、何?
今までの態度や望美に対する笑顔はなんだったわけ?

あんたの瞳に姫君が映って、それであんたが嬉しそうに微笑むのを見るたび
どうしようもない焦燥心が溢れて何度泣いたか知れなかったのに

言いそうになる唇をきゅっとかみしめて、ヒノエは弁慶から視線を逸らした。

 

「いつまでそうやって拗ねているつもりですか?」
「拗ねてないし」

 

極寒の平泉の地。
中庭に臨む縁側は冷え込んで、二人の間に粉雪が舞う。

「っくしゅ…っ」

ヒノエが小さくくしゃみを一つ。

「寒い……ですね」

「あぁ」

昼間でも空は灰色。
覆い尽くされた青空はこの先を予感するかのように
冷たく鈍色の光を中庭の池に映していた。

「ただ、さ……」

ヒノエがふいに口を開く。

「あんたが狙ったものをみすみす逃がすような男だとは思ってなかった」

「……狙ったもの、ですか」

くすくす、と弁慶は笑う。

「何がおかしいんだよ」

ヒノエは顔を真っ赤にして抗議した。
それに対しても、弁慶は嘲笑にも似た笑いを続ける。

「……狙ってなんかいなかったんです初めから」
「……嘘」
「わからないんでしょうねぇ」

はぁ、と弁慶は大きくため息を付く。

 

―――本当に欲しいものは 目の前の君だけなのに―――

 

「……何が?」

「いえ、……気づいてくれるまで待ちますよ」

「……なんだそれ」

 

ヒノエは ぷ、と吹き出す。

あんたが大人しく待ってる姿なんて想像できないね と吐き捨てると
弁慶の黒い衣を掴んで引き寄せた。

「あんたこそ、わかんないだろうな」

「……え?」

「……俺も 言ってやんない」

 

―――どれだけ あんたが好きだと思う?―――

 

 

「……」

弁慶は口の端をほんのわずかに歪めると
悲しそうに眉間にしわを寄せた。

「……生意気ですよ」
「ふん 上等だね」

挑戦的な目つきでヒノエは弁慶を見つめる。
弁慶はいつもこんな風に見ていてくれればいいのにとわずかに思った。
怒りでも良い 喜びも悲しみもすべて

自分に向けてくれればいいのに

 

「独り占め、したいんです」

ぼそり、と聞こえるか聞こえないかの声の大きさで弁慶は呟いた。

「あ?」

「……いえ、何も」

ヒノエはただ首を傾げて弁慶を見つめた。
小鳥のような動作に弁慶は思わず吹き出す。

「……ったく……なんだよ」
「すみません」

悪いと思ってないくせに。とヒノエは口をとがらせた。
その子供らしい仕草にもまた弁慶は感情を動かされる。

 

「あ」

ふと思い出したようにヒノエは弁慶に向き直った。

「源氏の軍が近づいてるって話だけど……あんたはどうしたいわけ?」

逃げるにしても水軍の船はないからな、とヒノエはため息を付く。

「とりあえず、陸路で北へ」

「逃げ切れるのか?」

「そこは、僕に任せてください」

弁慶はにっこりと笑ってみせる。

「……任せる?」

「ええ、きちんと策がありますから」

 

にっこり笑って言ってみせる弁慶にヒノエは眉をひそめた。

策があるだって?

「へぇ、あんな大勢の軍に対して、勝算があるんだ?教えて欲しいものだね」

揶揄するように言うと、弁慶はサラリとかわす。

「すみません。ここで言ってしまうと成功しないんですよ」
「仲間にも」

ヒノエは弁慶の一言を聞いてすぐに大きな声で被るように反論する。

「仲間にも言えないのかよ」

「仲間 だからこそ言えないんです」

へぇ、と軽く悔しい気持ちを抑えてヒノエは黙り込んだ。

 

仲間にも言えない策を練る

それは弁慶の特技だった。
それしか出来ないと言っても過言ではない。
軍師はもともと司令塔として軍を動かすべき存在なのに、
どちらかというと彼の独断で彼自身だけで動くことの方が多かったようにも思える。

しかし、それでも彼がその役職から下ろされないことは
絶対の勝利があるからである。

彼の作戦は失敗しない。

総大将である九郎を守るためならば犠牲は厭わない
少々荒いやり口ではあるが、源氏の組織を崩さない程度の基本は成り立っていた。

絶対の信頼と絶対の期待を一身に背負っていた。

 

「……」

「……ノエ、ヒノエ……?」

気づけば結構な時間黙り込んでいた。
弁慶はヒノエの肩を優しく叩く。

はっと我に返ってその瞳をのぞき込めば

 

彼が嘘を付くときの色をしていた。

 

「……弁慶」

「はい?」

ヒノエの髪 瞳 宝珠の緋色を映しこんで
弁慶の瞳は儚げに揺れる。

「あんた……」

この目は

 

「嘘 ついてるだろ」

「え?」

空気が凍り付く
顔は強張る。

ほら あんた 俺には隠せないんだ

 

「嘘?」

「ああ、……ホントは策なんてろくすっぽ練ってないんだろ?」

ふふ、と弁慶は笑った。

「まさか。軍師である僕が全く策を練らずに戦に挑むだなんて」
「……」
「君じゃあるまいし 僕は行き当たりばったりなんて事は」

「策じゃない あんたがしようとしてることは……」

弁慶の人差し指がヒノエの整った唇にあてられる。
紡ごうとした言葉を消される。

「それ以上、……言わないで ください」

「……」

きゅっと口を一文字に結んでヒノエは弁慶から目をそらした。
目頭が熱くなってくる。

どうして、こんなときに

「大丈夫」

弁慶は優しく言ってヒノエの髪を撫でた。

張りつめていたものがとぎれて、一筋涙が零れる。

「だいじょうぶ……?」

「ええ、僕は大丈夫です」

君を悲しませたりはしないから。

耳元で小さく囁いてみせる。
これでヒノエは黙るんだ。

僕は知っている ヒノエは僕に逆らえない。

「……」

 

ふと思い出された。
幼少時の記憶
熊野の海へ弁慶とヒノエと敦盛とそれから湛快で出かけたときに
はしゃいで溺れそうになったヒノエを助けたときの弁慶の一言。

「大丈夫」

弁慶も慌てて着物のまま飛び込んだものだから水を吸って重たくなって
少々ぎりぎりなところで岸へはい上がってきて。
二人揃って風邪をひいて。

「……大丈夫」

酷い熱を出して、二人とも布団でうんうん唸って
湛快に「馬鹿二人」とからかわれて。
先に治った弁慶は薬湯を飲ませに夜な夜なずっとついていてくれて
それで寝不足になっていても

「大丈夫ですよ 湛増」

笑って言うんだ。

あの夏は暑かった 気がする。
今も鮮明に残っている
冷たい弁慶の手のひらと
額に触れた唇と
それから 酷い苦さの薬湯と。

……無理矢理飲まされたっけな。

そのときも、確かに言った。

「大丈夫。そんなに苦くはないです。逃げないで……」
「嫌だ!あんたが作る薬はろくなもんがないじゃん、絶対飲まない!」

 

―――――だいじょうぶ―

 

 

「あんたの……」
「ヒノエ」

次に紡がれる言葉を知って
弁慶は遮るようにヒノエの唇を奪った。
もう次の言葉を出させないように
深く貪るように

「ん、ん!」

ばしばし、と力無くヒノエの手のひらが弁慶の肩を叩く。
呼吸する隙も与えないほどに弁慶はヒノエを離そうとしない。

「出発は明日ですよ。身支度を整えておきましょうね」

まるで先生かというくらいにさわやかな笑みを浮かべて
弁慶はヒノエに指摘する。

すっかり息が上がって力が抜けきったヒノエは
恨めしそうに弁慶の顔を見る。

ヒノエに背を向けて部屋に戻ろうとした弁慶を
ヒノエは外套の端を掴んで引き留めた。

「……ヒノエ?」

「一緒に、いて」

一瞬目を見開いた。
決してあってはならない感情が浮かぶ

 

ねえ、このまま僕のものになってしまえば―――

 

「……ヒノエ、甘えん坊さんですね」

クスクス、と笑ってからかってやる。

「いったいいくつでそんな台詞を吐くんですか?ねぇ。
  熊野の頭領がそれだなんて知れたらお笑い種ですね」

 

    僕のものに ならないで

 

ヒノエは顔を真っ赤に染めて
目にたくさん涙を溜めて抗議した。

「っ、ばか!冗談だよ。あんたが靡くかと思ってさ!
 流石軍師殿だね。俺なんかじゃだめなんだ?……っ」

 

 

     そう  それでいい

 

 

「全く。そろそろ自立したらどうですか?」

「……」

フン、と悪態を付くとヒノエは自室へと帰っていく。
それでいい。
弁慶は自分に言い聞かせる。

少しでも……

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日 朝

まだ空は白く朝靄がかかり
見通しの悪い中一行は源氏から逃れるために高館を出た。

「寒いな……」

九郎はふるふると震えながら馬に跨る。
馬もぶるる、と少し震えて白い息を吐いた。

「大丈夫ですか?」
「ああ、大事ない。行くぞ!」

九郎は明らかに凍えているんだろうな、頬を薄紅色にして笑った。

ヒノエはその横で気の乗らない様子で馬の首を撫でている。

「ヒノエ」

「んだよ」

返事も明らかに素っ気ない、というよりも
無愛想

「……これからは危険な旅になりますよ。わかっていますね?」

「重々承知だ」

 

 

「で、九郎、提案があるんです」

「なんだ?」

「先に行って貰えますか?」

「なんだと?」

その会話に、ヒノエは入れては貰えなかった。
総大将と軍師の会話に関係など無いのだ
わかっていながら何か世知辛いものを感じた。

「鎌倉勢を攪乱するために、僕はここに残りますから」

聞こえた言葉にヒノエは目を見開く。

 

「……っ」

上手く声が出ない。
反論しようとしても、鈍い冷気がただ遮るだけ。
重たい喉は何も伝えない。

 

違う  あんたは

 

「だが、弁慶……」

「馬鹿ですねー九郎は。僕が徒党を組んでいたときに
  負けたことなんかありましたっけ?ないでしょう?」

「はは、まあ違いないか。だが、お前は俺に負かされたんだぞ」

そんな他愛のない話まで始める。

やめろ

 

やめろ

「ヒノエ?大丈夫ですね?」

いきなりヒノエに話をふる。
ヒノエはしかめ面のまま弁慶の胸ぐらを掴む。

「……」
「もう、どうしたんですかそんな怖い顔をして」

「あんた一人が残るのかよ」
「ええ」
「攪乱なら俺が一緒でもいいんじゃない?」

どうだ、これなら誤魔化せないはずだ

「いえ、君がいると足手まといなんです」
「……っ」

「君みたいな未熟者がいると
 僕はあのころみたいに暴れられませんからねぇ」

からからと笑ってみせる。
そんな顔するな

やめろ そんな顔

弁慶の耳元で風を切る音がした。
頬に痛みが来るな。
そう思った

けれど予想した痛みは来なかった。
ただ暖かい手のひらが頬に触れて、そのまま力無く下ろされただけ。

 

「……大丈夫 ですよ」

弁慶は優しく微笑む。
ヒノエはその嘘に気づけない。

 

「すぐに追いつきますから」

 

なぜ、あのとき頷いてしまったんだろう。

 

 

 

それから、九郎達を見送ってその場に残った弁慶は一人笑った。

 

これで良かったのだと。

守りたいものは守った。
後悔はない。

九郎も ヒノエも 生きている。もちろん、望美さんも。

これでいい。

 

「いたぞ!武蔵坊弁慶だ!」

鎌倉勢が叫ぶ声がする。
風を切って飛んでくる矢。
大勢の鬨の声。

刺さる 切れる

流れる

命はもう。

そう思ったときに蘇るのは

 

「だいじょうぶ……?」

 

ついに手に入らなかったな……。

そんな風に思ってしまう。

吐き出した鮮血は雪にとけ込み、また余計な記憶を引き出させる。

 

どうしたら僕を映してくれたんだろう。

そんなことばかり考えさせられる。

 

狡いと思えばいい

憎めばいい

嫌いになってくれればいい。

それで忘れてくれればいい。

君の盾となり、散れるのなら いい。

 

あの子の髪と同じ緋色は流れて留まることを知らず。
……消えることが出来るんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「弁慶、来ないな」

 

九郎は呟いた。
雪原の中 逃げ切った広い空間の中で

「……あいつさ」

「ん?」

「…………」

「分かってる ヒノエ ……言わないでくれ……っ」

九郎は唇をかみしめて嗚咽を繰り返した。

ヒノエの瞳から大粒の涙が零れる。

拭えど拭えどきりがない。

 

どうして、あのとき止めなかったんだろう

どうして  あのとき頷いてしまった?

 

『大丈夫』

そんな言葉に騙されたわけじゃないのに。
ヒノエの緋色の瞳に弁慶の姿が映っては消える。
捕まえられずに 消えていく。

 

 

いつから すれ違ったんだ?

 

 

守られたかったわけじゃない。
離れたくなかった。

甘えん坊だなんて 言われても良かった。

側にいれば良かった。

 

あんたは狡い

『君を悲しませたりは   しないから』

 

そんな嘘

分かってたはずなのに

 

それでも嫌いになれないんだよ

 

あんたの 大丈夫 は いつだって 大丈夫じゃないんだ。

 

分かっていたはずなのに。

 

 

 

どうすれば 俺の瞳にあんたを閉じこめられたのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

END……

 

 

 

 

 

 

 

 

written by LunaticDrop  暁星