そんな陳腐な一言に、ヒノエは見事に顔を赤く染めた。
恐ろしい。

なんでこんな一言に

 

 

 

 

 

「嘘」

「好きですよ?」

「……あんたはいつも 嘘ばっかり。口から出任せもいい加減にしなよ」

 

ふい、と顔を逸らしてヒノエは吐き捨てた。
弁慶は素直じゃ無いなぁと呟き、ヒノエの白く柔らかい二の腕を強く掴んで引き寄せる。

「好きじゃない子に こんなコトしませんよ」

囁きかけて、優しくヒノエを背後の布団へ寝かせる。
衣擦れの音にヒノエは軽く目を瞑った。

「そんな可愛らしい嫉妬されて、僕が黙っていられるはずないでしょう」

弁慶はヒノエの髪を撫でて額に唇を落とす。
思いがけず優しい態度にヒノエは目尻から一滴涙を流した。

「嫉妬?」

「嫉妬じゃなかったら何だったって言うんですか、君、無様でしたよ。源氏に八つ当たりして」

「……」

「君も 僕が好きでしょう? 大好きなんでしょう?」

さも 当然のように。
なんて憎たらしい男なんだろう。ヒノエはそう思いながらも
昔と変わらない自信に満ちた弁慶に惹かれずにはいられなかった。

「……好きじゃなかったら 黙って組み敷かれてるわけ、ないじゃん」

素直じゃ無いなあ。弁慶はヒノエの返答に笑いを堪えきれずに吹き出す。

「素直に好きと言えばいいのに」

「嫌だよ」

「どうして」

「……あんたみたいに無駄に言ってると言葉が腐るからさ」

皮肉を込めてヒノエは眼を細め、口の端を釣り上げる。
ふ、と鼻で笑うまだ幼い感情の持ち主に
弁慶は少しいらだった。

そんな嘲笑を浮かべる余裕があったのか
強がっているだけなのか。

いらだちを抑え、弁慶はふと思いついたように口を開く。

「言葉だけの僕を、……嫌うんですね?」

「有限不実行ってさぁ、嫌われるんじゃない?」

 

「……では、行動に表せばいいですか?」

今度は弁慶が意地悪く口の端を釣り上げて囁く。
その頓知のような引っかけにヒノエはまだ気づく余地がなかった。

「え……?」

「僕が、どれだけ君を愛しているか」

次の瞬間、弁慶はヒノエの頭の横に付いていた右手をそっとヒノエの頬に添えて口付ける。
冷たい頬に生暖かい感触が伝わってヒノエは軽い身じろぎをした。

「……ぁ、あ、や…!」

優しい のに怖い

いや、違う 優しいから怖い。

ヒノエは説明の付かない恐怖に身を強張らせ、顔を背けた。
弁慶はヒノエの寝間着の前をはだけさせて胸元に点々と赤い痕を散らしていく。
小さな痛みが走るたび、ヒノエは小さく声を漏らした。
忍ばせた媚薬のせいもあってか、やたらと反応が良いことに弁慶は微笑む。

「嫌、ですか?」

「……っ馬鹿!」

違う。
自分は喜んでいる。

弁慶に気にかけて貰えるのが嬉しくて溜まらないんだ。

ヒノエは気づきかけた自分の感情を必死に押し込めて弱々しく弁慶の胸に腕を突っ張った。
しかし、敵うはずもなく細い腕は弁慶の整った手のひらに押さえつけられ、虚しく敷き布団にぱさりと埋まる。

「嫌?なわけ、ないんだけどな、ほら、だって…」

言葉を続けずに弁慶は舌の先でヒノエの首筋、鎖骨、胸元を軽く舐めあげる。
そのたび上がるくぐもった声を聞き逃さなかった。

「嫌ならこんな反応、しないでしょう?」

「っ、ん…そんなの、知らな…ぁっ」

首筋に噛みつけばそんな小さな反論の言葉もすぐに掻き消されてしまう。
なんと無力で愛らしいことか、と弁慶は笑った。

「……べんけ」

小さく、ヒノエは呼びかける。

「なんですか?」

「……好  き」

その言葉に、弁慶は突然胸がいっぱいになって初めて目頭が熱くなるのを感じた。
今まで 考えてみたなら最後に泣いたのはいつだっただろうか?

「湛増……」

「……ごめ、ん。……好き だよ…っ」

「ちょ、……誘って、るんですか」
「……」

「湛増?」

「ふふ。……そうだって言ったら?」

幼いと思っていたのに。
この別当はたいそう妖艶な笑みを浮かべる。
弁慶の理性を飛ばすには充分だった。

「酷くしますよ?」

「へぇ、それってどんな?」

「君が、耐えられないくらい」

「ふぅん、すれば?」

「……いいんですか?後悔させますよ」

「させてみなよ」

減らず口も良いところだ。
何処までが本気なのか。

その強気さと生意気さに弁慶は腹が立つ

というよりも 何処まで出来るのか試してみたい。
という恐ろしい好奇心に駆られた。

 

「本当に…… 知りませんから ね……っ」

「っ!!痛っ、ちょ…っやだ!嘘…っ」

弁慶が低く掠れた声で警告を促した直後、ヒノエは酷く仰け反った。
唐突に走った痛みに耐えきれるはずもなく、瞳からただただ生理的な涙を流し続ける。

「…っつ、湛、……っぞう、ちょっと 力抜いて、くれます?」
「……馬鹿か!…無理、に決まって……ん、ぁあ…っ」

弁慶が苦しそうに紡いだ言葉に反論した瞬間、その動きに連動して
ヒノエの中で弁慶の角度が変わる
予期していなかった刺激にヒノエはまた悲鳴を上げる。

「……大丈夫、ですか?」
「…あん、た 馬鹿じゃん?……自分、でヤッといて」
「……誘ったのは君です…っ」

一言吐き捨てるように告げると、弁慶は故意に深みへと身を進める。
弁慶の肩に置かれたヒノエの指先に力が入る。

「あ、……っ」

「声、殺さないでも イイですよ」

「……ばっか…!聞こえ、る!他の 連中 に」

「…………良いじゃないですか、見せつければ」

狂った言動、焦る 急く
求める行動

弁慶はこんなに余裕のない自分に軽く嘲笑を漏らした。
ありえない。

そのままヒノエの弱点、耳の裏を舐めあげる。
ヒノエの耳に唇を寄せる行為で自然と身体は密着し、深みはより増していく。

「ぁ、んっ……ふ、…弁慶……ッ」

鼻にかかったくぐもった声が制止をかける。
それが弁慶を煽ると知ってか知らずか。

「湛増、……そういう馬鹿なところ 大好きです」

「どっちが、……あんたのほうこそ相当の馬鹿じゃない?」

「……大人を茶化すのもいい加減になさい、ね」

苛ついた声色と同時にヒノエを追いつめていく行為。
好きなのか。嫌いなのか。
好きすぎて困るのか。

「…っぅ、ぁ、あっ」
「なんだかんだ言ってよがってるじゃないですか」

どうしてこうも羞恥心を煽る言葉がスラスラでてくるのか
ヒノエの理解の範疇を超えていた。
その不可解な人間に抱かれることすら嬉しいと感じる自分が
一番不可解であることにヒノエは唇を噛んだ。

「あ、んたが悪いんだよ……っ」

「え?」

「……好きだよ」

「……湛増……」

うっかりと唇からこぼれ落ちたようにあふれた告白に
弁慶はヒノエをきつく抱きしめた。

可愛い。

「僕もです。……好きなのに優しくできないな」

「……優しいあんたなんて薄気味悪いね」

こんなときでさえさらりと毒を吐く。
生意気さが子供のように愛らしいとさえ感じる。

完全に病気だ。

弁慶は自分の弱さに立ち返って弱々しく笑った。

「確かに。……僕はそう言う柄じゃないですね」

 

「っちょ、…痛、ぁ、ああっ …、だからって、 これはやりすぎじゃない……っ?」

「はい?なんのことですか?」

いけしゃあしゃあととぼけてみせればヒノエは顔を真っ赤にして縋り付いてくる。
期待を何一つ裏切らない彼の行動に弁慶は口の端を釣り上げた。

「やりすぎだって いって、んのがわかんないのかよ…」

「大丈夫ですよ。このくらい。僕は君のことならなんでも知ってますから」

ヒノエは半分朦朧とした意識の中で弁慶の言葉を聞いた。

「なんでも   知ってるなんて よく言うよ…」

つ、と一滴 何も映していない瞳から涙が零れる。

 

 

「……!」

ふとした瞬間に弁慶は顔を強張らせた。
その異様な様子にヒノエは不安げな眼で弁慶の顔をのぞき込む。

「べん、け…?」
「…しっ。……静かに……」

制止されて耳を澄ますと衣擦れの音が聞こえた。
軽くて少し早足な

 

「弁慶殿が見あたらないのだけど何処にいるか知らない?」

落ち着いた優しい声。
朔が弁慶を捜していた。

「え。部屋にいないのかい?」

返答するその兄、景時。
まいったなぁ、と困り声が聞こえてくる。

 

「……」

ヒノエは羞恥心に顔を真っ赤にして俯いた。
二人が探している軍師が
まさか今自分の部屋に居座っているなんて。

「大丈夫ですよ ヒノエ」

ごく小さな声で弁慶は囁き、ヒノエの頭を撫でた。
ヒノエは安心したように小さくため息を付く。

「声を立てなければ、ですけど」

この状況で声が立たないわけが無いじゃないか
とヒノエは思った。

「あんたが何もしなければ声なんかたてないですむんじゃない」

ヒノエがふてぶてしく吐き捨てると弁慶はにっこりと笑って
恐ろしい提案を突きつける。

「え?……何かして欲しいんですか?」

「……は!?まさか…… っぁ」

言うや否やヒノエの否定の言葉など聞きもせずに
弁慶はヒノエの目尻を舐めあげた。

「ちょ、……もう少し考えて行動しなよ」
「え?ああ、すみません。まさかこの程度で声を上げるなんて」

思わなかったから。
と、弁慶は悪戯を成功させた子供のように笑う。

「あのなぁ……」
「……はい?」

弁慶がヒノエの顔をのぞき込んだ瞬間のわずかな動きにさえ
ヒノエは反応する。

「…っ、んゃ、ぁ」
「湛増?」

まずいな、と小さく呟いて、弁慶はヒノエの唇を自分の唇で塞いだ。

 

「……何か聞こえなかった?兄上」
「え?さぁ…耳、悪いのかなぁ俺」

外から会話が聞こえる。
なおも甘ったるく鳴こうとするヒノエの唇を、弁慶はふさぎ続ける。

 

「空耳……かしら?」
「うーん、まぁ、わかんないし、その件については明日でも良いんじゃないかな」
「そうね……」

急ぎのことではないし、と朔はため息を付く。

「ほら、あまり夜更かしすると明日も早いし、寝よう朔」
「ええ、おやすみなさい兄上。兄上こそ寝坊しないでね」
「……キビシイなぁ、もう」

 

遠ざかる二人の足音
残るのは月の明かりと、それから夜風だけ

 

「……っん、ふ…」
「……馬鹿ですね全く」

ようやく唇を解放されたヒノエは頬を紅潮させて
大きくため息を付いた。
口の端からあふれた唾液を弁慶が指先で拭う。

「あんたのせい、だしっ…」
「人の所為にするのは悪い癖ですよ」

ぐ、と弁慶は腰を打ち付ける。
それにヒノエは目を硬く瞑る。

「や…っ!痛、ぁあ、やだ…っ」

「で?どうなんですか?源氏に付きますか?」

こんなときにそんな話題かよ。
ヒノエは苦しいやら悲しいやらで目を背けた。

「……っしらない……!」
「湛増」

ヒノエの細く整った顎を掴んで向き直らせ、弁慶はもう一度問う。

「じゃあ、君は 僕に つきますか?」

すこし切なそうな声色と泣き出しそうな瞳で
弁慶は最後の望みをかけて問いかけた。

「……え?」

ヒノエは驚いて聞き返した。

誰が 誰につくって?

 

「……君が僕に落ちればいい。僕の物になればいい……」

小さく まるで魔法をかけるように
弁慶はヒノエの耳に囁きかけた。

瞬間、ヒノエは弁慶の首に腕を回して引き寄せる。

「あんたこそ 俺に落ちればいいっ…」

引き寄せて、口付ける。
弁慶はヒノエの行動を理解できなくて
それでも心地よい感覚に酔うように舌を絡めた。

「どうして 僕は君に落ちてしまったんだろう」

 

「……こっちが聞きたいね」

一言呟くとヒノエは疲れ果てたのか
そのままゆっくりと瞼を閉じて眠り始めた。

弁慶も明け方近くまでその側でヒノエの頭を優しく撫でていた。

「ごめんなさい……」

 

小さく、謝りながら。

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、寝過ごして布団の中でぼんやりしているヒノエの部屋に望美が尋ねてきた。

「ヒノエ君、起きてる?」

「あ、あぁ、…起きてるけど」

その返答に望美はすっと襖を開けて部屋に入ってくる。
まだ布団の中、上半身だけを起こして乱れた髪を手櫛でとかしながら
ヒノエは望美を見た。
少しはだけた寝間着の合わせを左手で整えながらヒノエは言う。

「おや、まだ入って良いって言ってないのにね。……大胆だね」
「なにいってんの!もー。こんな時間に寝てる方が変だよ 朝ご飯もすっぽかしちゃって」

寝坊は私もしたけどね……と望美は笑った。

「もしかして、具合でも悪いの?」
「あ、全然……平、気…っ!」

立ち上がろうとした瞬間腰を襲った激痛にヒノエはまたぺたりと座り込む。

「……やっぱり疲れてるんじゃない?」
「っ、ちょっと待ってよ。この俺が疲れてるわけ、ないだろ?」

笑ってみせると望美の背後から真っ黒な衣を纏った弁慶が姿を現した。

「ヒノエ、君昨日風邪気味だって言ってませんでした?」
「へ?」

いいから、合わせなさい。
弁慶は視線でヒノエに合図する。

「なんだかぼーっとするとか関節が痛いとか言ってたじゃないですか」
「あ、……ああそのことね。確かにやっぱりこじらせたみたいだな」

望美はその様子に首を傾げながら笑った。

「……そうか、じゃあ安静にしてたほうがいいよね、ごめんねヒノエ君」

「あ、……謝る必要はないよ。起こしに来てくれて嬉しいよ 俺の姫君」
「くだらないこと言ってないで寝なさい」

弁慶がヒノエの軽口に制止をかける。
それに望美は笑うと部屋を出ていった。
そのすれ違いざまに弁慶に囁く。

「もう少しヒノエ君に優しくしたら?弁慶さん」
「え?」

「なんでもないでーす。じゃ、ヒノエ君の看病お願いしますね。私ちょっとここら散策してきますから」

全てお見通しなんだろうか。
弁慶は望美の笑顔にぞっとして顔を引きつらせた。

「弁慶」

望美がいなくなった部屋でヒノエが弁慶の背中に呼びかける。
無言でヒノエはこいこい、と手をひらつかせた。

寄っていくと、ヒノエはすっと弁慶の腕を掴んで引き寄せる。

「……なんですか?ヒノ…っ」

瞬間、触れるだけの口づけをしてヒノエは笑った。

「あんたに付いてやるよ。我が儘な軍師殿」

「……っ」

「水軍がこっちにつくかはわかんない。
 ……でも、俺はあんたにつく。私情でしかないけど、ね」

 

そう言って、ヒノエは弁慶の胸に顔を埋めた。
弁慶はヒノエをすっぽりと包み込んで抱きしめる。

「……だから 側にいて。何処にも行かないで」

珍しく弱気な声に弁慶はヒノエの頭を撫でた。

「俺だけ 見ていて」

子供のような独占欲にヒノエは自己嫌悪に陥った。
何でそんな言葉を自分が吐いているのかも理解できなかった。

ただ、とにかく離したくなかった。

それでも黙って小さく頷いて弁慶はヒノエの額に口付ける。

 

「君の望むままに。……僕の幼い欲のままに」

 

 

どうして こんなに 愛しいんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

END