パラサイト

 

 

 

狭いマンションの一室。
一人で住むには広くて、二人で住むには少しだけ狭い。
25階建ての12階。売却された安い部屋を買った。

この世界に来てから。

いつまでも有川家に世話になるわけにもいかず、なんとか手付け金を稼いで
弁慶とヒノエはマンションの一室を買った。
どうあがいても一人一部屋買えるほど金は無かった。
そういうわけで、否応言えず同居している。

ヒノエは朝は新聞配達 昼はスーパーのレジ打ち 夜はホストでバイト。
ろくに寝る時間も無いキリキリの生活を送っていた。

「おはようございまっす!!」
「今日も元気いいねぇ。じゃあ、いつもの区域頼むね、それから今日一人来ないからこっちの区域もお願いできるかい」
報酬はちゃんとだすから。と雇い主が笑う。

やった。今日の報酬は二倍だ。

そんなことを思いながらヒノエは銀色の自転車にまたがって
一区 二区 配達を済ませる。
配達が終わるのは、午前七時。
家に戻る暇もなくバイト先のスーパーへ駆け込む。

「今日も早いわねぇ、ヒノエ君」
「あ、おはようございます。今日もよろしくおねがいします」

店長のおばさんにぺこり、と頭を下げる。
店長はふくよかな顔をほころばせてこちらこそ宜しくね、と答える。
ヒノエ君は真面目でホント助かるわぁ。
それがおばさんの口癖だった。

「398円がいってーん。215円いってーん、587円がいってーん」

値段を読み上げながらバーコードを機械で読む。

「計、1860円のお買いあげになります」

買い物かごの上にレジ袋を二枚。
マニュアル通り。

女の買い物客は大体ヒノエに見とれる。
ヒノエがバイトを始めてから口づてで広がったのか
このスーパーはやたら繁盛するようになった。

 

夜、歓楽街に行く。
現在の地位はトップ。

バイトなのに、トップ。

あり得ないと言われて同僚に小突かれる。
嫌がらせも、絶えない。

陽気なドンペリコール。
ヨイショで固めろ カラオケ。

巧みに断れ 同伴。

 

「それじゃあね、俺の可愛い姫君。明日も指名してくれるんだろ?」

客を見送る。今日、何回目だろう。
こんな台詞、何百回だって言ってやる。
これで飯が食えるんだ。 構わない。

酒臭い酔った女の腕がヒノエの腕に絡む。
とろり、とした目でヒノエを見つめて女は何か訴えてくる。

だいすき だいすきよヒノエくん。

聞き飽きた。そんな言葉。
なんで俺が好きなんだよ あんたは。

仕事で笑顔振りまいて、優しい俺が好きなんだ。
俺の顔が好きなんだ。

疲れ切って家に帰る。時計は午前二時。

 

 今月の稼ぎと 水道代 光熱費 電気代 差し引き……赤字?
 なんでだ?……あれ、なんか減ってる? 弁慶にやった小遣い?

 

「弁慶」

ヒノエが呼びかけると、弁慶はコタツの中に脚を突っ込んでぬくぬくしながら返事をした。
「なんですか」

長い髪の毛を解放して、背中にだらりと流し、オフホワイトのふわふわしたセーターを着込んでいる。
ずず、とマグカップに入ったコーヒーをすすり、ラップトップPCをカタカタといじっている。

「なんか、赤字ンなってる」

主婦のような一言だ。
ヒノエは黒いスーツの胸元を緩めながらため息を付いた。

「あんた、使ったろ?」

「ええ、使いましたよ」

飄々とした態度で答える。
それに、ヒノエはむかっ腹を立てた。

 

「使いましたよ、じゃねぇだろ!生活ギリギリなんだぜ!?もっと考えて……」

ヒノエはコタツの横にずかずか、と歩いていく。
これ、と言って家計簿を突きつけると、弁慶はそんなものは気にせずにヒノエの手首を掴んで引き寄せた。

「ん」

それだけ言うと、弁慶はヒノエの唇に自分の唇を重ねた。
コーヒーの苦みがヒノエの口に広がる。
すぐにヒノエの手を離すと、弁慶はまたパソコンに向き直って何かをカタカタと操作し始めた。

 

「ちょ、弁慶!」

「なんですか」

「なんですかじゃねえよ、だから、家計簿」
「君がもっと稼げば良いじゃないですか」

さらり、とそんな言葉を吐く。
ヒノエはワナワナと拳を振るわせて反論した。

 

「あんたさぁ、自分だけ働かないで楽して、なんなんだよホント」

弁慶はパソコンの電源を落とし、側に置いてあるソファベッドにどさ、と腰掛ける。
組んだ足が長さを強調していて腹が立った。

ふう、とため息を付いて弁慶は答える。

「何って…… でも、君は僕と離れても良いんですか?この生活、やめますか?」

 

ヒノエは驚いて目を丸くする。

どういうことなのか、わからない。
彼の言う意味が理解できない。

ちょっと待て 

 

「俺が養ってんじゃねぇのかよ」

思わず呟いた言葉に、弁慶が眉をひそめた。
そして、喉の奥で低く笑う。

 

「思い上がるんじゃありませんよ」

優しい声と裏腹にヒノエの腕を引き寄せ、捻ってソファベッドに倒す。
抵抗するまもなく鮮やかに組み敷いて弁慶は笑う。

「君が 僕から離れられないんでしょう?」

長い指で、優しくヒノエの輪郭をなぞる。
ヒノエは顎を引いて弁慶を睨む。虚勢を張る。

------でも知っているんですよ。

ヒノエは決して拒んでなんか無い。------

 

白いソファベッドにヒノエの真っ赤な癖毛がふわふわと散らばる。
白い肌に紅が滲む。

「やめろって」

とりあえず否定の言葉を吐くヒノエに、弁慶はため息を付く。

「口ばっかりですよ。君は」

嘘なんか、付けない癖に。と弁慶はヒノエの手首を握る手に力を加えた。
そう、先ほどまでほとんど圧力をかけていなかったのだ。
本当に逃げ出そうと思えば、少し抵抗すれば逃れることくらいたやすかった。
ハズなのに、ヒノエはそれをしなかった。

「痛っ……何馬鹿みたいに体重かけてんだよ」
「おや、嬉しくないんですか?こんなに近くに僕が居るのに」

弁慶の柔らかい髪がヒノエのはだけた胸にかかる。
くすぐったいもどかしい感覚に、ヒノエは身を捩った。
白い肌に点々とつけられていく跡に抗えず、ヒノエは時折仰け反る。
その反応に満足したように弁慶が笑う。

ヒノエの弱点を追いつめて、知り尽くして弁慶は確実に攻めていく。
いつだってそうだ。
時に焦らしてみたり 避けてみたり
ヒノエが困る顔が好きでたまらない。嫌がる顔が好きでたまらない。

泣き顔が好きで堪らない。

ヒノエが泣いて懇願すればするほど、深みにはまる。

もう、笑いが止まらない。

酷く素直に反応する。可愛い、と思ってしまう。

 

 

どちらがどちらに溺れているのか、もうすでに解らない。

けれどどうだって良い。

 

ひたすらに互いが互いを求めている。
けれど弁慶は決してそれを露わにしない。
何度重なっても、本心は全く見えない。

それがヒノエを不安にさせるということもよく知っている。
裏を返せば

彼が不安になるのが楽しい。

嬉しくて堪らない。

 

酷く歪んだねじ曲がった愛情だ。

 

 

自分でもよく解った。

 

 

ふと窓に目をやる。
新月。

見えるのは夜景だけ。

 

 

 

 

 

いつまでもつれ合っていたんだろう。
ヒノエは夜中に目を覚ました。

 

ソファベッドに眠っていたかと思ったが、自室のベッドの上。
あ、もしかしてあのろくでなしが運んでくれたんだ。

時計に目をやると、四時。

ヤバイ。そろそろ起きないと。

新聞配達……。

重たいアタマを起こす。
上体を起こそうとすると、腰が軋む。 あたた あたたたたた
独り言のように痛みを口にしてうずくまる。

ヤベ、でもバイトサボるわけにも行かないし。

ふら、ふら、と部屋のドアに向かって歩き出す。

 

視界が歪んでいる。
よく、見えない。

……ダメだ 苦しい。なんか、アタマががんがんする。

 

リビングへ出たとき、弁慶の後ろ姿が見えた。
また、パソコン、いじってる……。

「べんけい……」

名前、呼べた。

それだけで安堵して、ヒノエはその場に壁づたいにへなへなと膝を折る。

弁慶は自分が起きていることに気づかれて、少し焦った。

 

「ヒノエ!」

いや、それ以前に倒れ込むヒノエに駆け寄る。

呼吸は正常 脈拍、正常。
こんなときに以前薬師をしていて、よかった と思う。

しゃがみ込んで目線を合わせてヒノエの閉じられた瞼を見つめる。

 

「ヒノエ?」
「あ、悪ィ 俺、バイト行かないとな ……じゃあ」

無理をして立ち上がる。
弁慶はその腕を掴んでもう一度座らせた。

「行かなくて良いんですよ」
「は?だって、あんた」

「行かなくて良い!」

珍しく弁慶が声を荒げる。
掴まれた腕がズキ、と痛んだ。
弁慶の瞳から涙が一滴流れた。

「働き過ぎですよ。もう止めにしましょう」

こんなかおみるの はじめてだ。

瞳を閉じて眉を寄せて、あり得ないくらい美しく泣く。

「君が、死んでしまってはいけないから。それなら離れた方がよほど良い」

それに対してヒノエも声を荒げた。

 

 

「俺、あんたと離れるの嫌だよ、そうだよ!あんたの策にまんまとハマッてんだ!」

「……」

「あんたと離れたくない だから 俺は 必死んなってんだ」

じゃあ、もういくから、とヒノエは立ち上がろうとする。
が、次は弁慶の腕によって拘束され、身動きがとれなかった。
真正面から抱きすくめられる。どう反応して良いのかわからない。

 

「馬鹿ですね、ヒノエ」

「え」

「今日、何故僕があんな行動に出たか解っていますか?」

「しらねーよ」

ただ、ヤりたかったんだろ、とヒノエは突き放すように言う。
先刻までの自分の嬌声を思い出すのが苦痛で、誤魔化したくて突っぱねる。

 

「君を、今日は離したくなかった」

虫ずが走るような台詞。
こんな腐りきった台詞に、何故胸が締め付けられるのかヒノエは悔しかった。

「少し、虐めすぎました」

「はぁ?」

 

弁慶はヒノエを抱きかかえて自室へ連れて行く。

殺風景な自室のタンスを開けて見せた。

 

「な、なっ……なんだよこれっ!」

「なに、ってお金ですよ」

みりゃあ解る、とヒノエは怒り狂った。

「俺が必死こいてたときになんだこの大金」

 

弁慶は屈託のない笑みを浮かべると答えた。

「君の稼ぎを元手に株式でここまで増やしました」

「マジかよ……」

「ええ、これからは、君が無理をしなくても良い」

ヒノエは情けないやら悔しいやらで頭を抱えて弁慶のベッドに倒れ込む。
そして、ハッとしたように弁慶に食ってかかる。

 

「おまっ、じゃ、なんで今まで隠してたんだよ!!」

あはは、とさも楽しそうに弁慶が笑った。
解せない、とヒノエは顔をしかめる。

「……君が、僕のためにどれだけ必死になれるのか。見てみたかったんです」

「は……」

「そうしたら、君は自分の身を削り、危険に晒してまでこの生活を守り抜こうとした」

弁慶は嬉しそうにヒノエの三つ編みを掴んだ。

 

「本当に、君は可愛い」

「な、なっ 前言撤回!」

「もう、無理ですよ」

引き寄せて、優しく口付ける。

 

「弁慶、あんたってヤツはころころ表情かえやがって、クソ、ハメたろ」

「いいえ、心外だな」

 

 

君が死んでしまうのではないかと、一瞬僕は気が狂いそうになりました。と
弁慶はその瞳を翳らせる。
そして、もう一度ヒノエを引き寄せて少し長めの口づけをする。

涙のにおいがした。

ヒノエの口内に優しくそれでいて苦しい涙の味が広がる。

 

……本当だったんだ。

 

「本当に、君は僕を引きつけてやみませんね  ……僕の負けです」

弁慶はそのままヒノエをベッドに寝かせた。
自分もその横に横たわり、優しく抱き寄せる。

低い体温が、ヒノエの火照る体を少しずつ安定させる。

 

 

 

外を見れば、新月。
空は白みはじめ、鳥のさえずりが聞こえる。

 

朝寝。

 

 

このままずっと寝てても良いなんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

END