春 の宮









気 がつくと、他の八葉たちから離れて別の空間にいた。

「あれ……?」

季 節は、春。先ほどまでこんなうららかな気候ではなかったのに、
花が咲き乱れ陽光がまどろむ中にいた。

何 があったのか。

必死で記憶をたどるが、あまり思い出せない。
祠の中に落ちていた小箱に手を 触れて、それから……どうしたんだっけか。
そんなことよりも、今の状況を整理する方が先だ。
うんうんと考え込み ながら歩いていたが、
今まで誰にも会っていない。
それ自体がすでに不気味であることに、今ようやくイサトは気づ いた。
はぐれた仲間はおろか、こんな市中を歩いているのに人っ子ひとりいない。
そして、同時にここがどこなのか もわかってきた。
見慣れた街道は自分が夢の中に来る前に過ごしていた京に瓜二つである。
いや、瓜二つというより もそのものと思うのが自然だ。
しかし、今の今まで天界にいたというのに、どうしたものだろう。
とりあえず知って いる人がいそうなところへ足を運ぶしかない。
そう思ってイサトは駆け足になった。



「……っ ちくしょ、誰もいないのかよ……」

走れど走れど、誰にも会わない。
だんだんと心細くなってくる。
し んとした市中の不気味さと、一人きりの心細さに不安は募っていくばかりだ。

ふと顔をあげれば、神泉苑が見えた。
こ こならだれかいるかもしれないとわずかな期待をもって踏み込む。




「東 宮様!」


女の声が聞こえた。


…… 東宮?

ってことは、彰紋がいるのか?
そう思いながらそっと声のした方を振り返ると、小さな 子供がよたよたと歩いていた。
立派な衣を着て、こちらをみてにこっと笑う。
可愛らしい笑い方につられてイサトも 笑った。

「……東宮様、勝手に動き回られてはいけませんよ」
女房が焦ったような顔で子供の 手を引き、こちらを一瞥した。
僧兵がこんなところで何をしているんだ、といったような冷たい顔で
イサトの身なり を下から上までなめるように見ると、申し訳程度に一礼して
その場を去っていってしまう。

な んだ、失礼な奴め。
そう思いながら子供の後ろ姿を見ていた。


「東宮っ て……」

待てよ。今の東宮は
彰紋じゃないのか?
よくわからない展開に 首をかしげながら、イサトは神泉苑の木陰に座り込んだ。


「……あれ?イサト?」
頭 の上から降ってきた声に驚いて顔をあげる。

「彰紋!」

やっと知り合い に会えたうれしさに顔を輝かせ、イサトは立ち上がった。

「おい、オレ達……」
なんでこんな ところにいるんだ?と聞こうとすると、彰紋は先に話題を切り出した。
「戻ってこれたんですねぇ」
のんきな口調に あっけらかんとさせられる。
「は……?」
「なにか、長い夢を見ていた気がするんですけど。ようやく醒めたみたい な……」
ふう、と息を吐いて彰紋は伸びをして見せる。

……夢?帰ってきた?
な んなんだ?

「彰紋、待てよ……だってオレ……」
「良かったですよね、とにかく、解決したみ たいで」

なんだかよくわからないことばかりを口走る。
天界での事件は何一つとして解決して いない。
北斗星君とかいうやつの野望も阻止していないし、他の神子たちも救えていない。
まだ解放されていない八 葉だっていた。
彰紋はすべて忘れてしまったのか?
どちらが夢なのか、自分もよく分かっていないが、
天 界でのことは確かに現実なのだ。


「あ、なぁ、彰紋、さっき東宮って子供が……」
「あ あ、兄上の子のことですね」
「……え?お前……お前が東宮だろ?」
さらりといってのけた彰紋に目を白黒させなが らイサトは問う。
「ええ、つい先日まではね。けれど、兄上に子ができて、それでその子に皇位を移したんですよ」
「…… え?」
「僕は東宮位から降り、親王に戻ったんです」
「……ウソだろ……」
「いいえ、本当で すよ。降りてからは、気楽なものです」
ニコニコしながら、彰紋はイサトの横に腰を下ろす。
「これからは、堂々と 市中を歩きまわれますしね」
「……へ、へぇ……」

何かの間違いじゃないか。
っ ていうか、今まで帝に息子なんかいなかったはずだし、
いたとしてもあんな風に歩けるほど成長はしていないはず。
そ れに、皇位はいまさらそちらに、しかもこの時期に移るものなのかという点でも疑問だ。

これは、”現実”じゃない 気がする。

「あ、のさ。そういえば他の八葉どこいったんだろな?」
不意に話題を切り換え る。
この話をしていてもたぶん平行線でらちが明かないだろう。
「え?……さあ?僕は今日は呼ばれていないので」
わ からないですけど……とため息をつく。
「久々の休みですし、ちょっと散歩でもしませんか?」
よいしょ、とその場 を立ち上がり、彰紋は手を差し出して来た。
誘われるまま、イサトも立ち上がる。
「そうだな」
こ んなところで座り込んでいてもはじまらない。
だれか探さなければならないだろう。

神泉苑を でて、歩き始めると市中はにぎわい始めていた。

「あ……あれ?」
「どうしました?イサト」
「さっ きまで、人がいなかったんだ……」
ううん、と首をひねると彰紋は笑った。
「もしかして、朝早かったからかな?」
こ いつは市のことをよく分かっていない。
朝の方がむしろ人が多いはずだ。
全く筋違いな発言にイサトは苦笑いする。
「あ、 ああ、そう……なのかもな」
体格のいい中年女性が声をかけてくる。
「お兄さん、お菓子買ってかないかい」
彰 紋は東宮だ。一般人にさほど顔が知れていないとはいえ
このように声をかけられることなどなかっただろう。
「え? 僕、ですか?」
「おまえだろうな」
他に誰もいない。イサトと彰紋のことに違いないだろう。
す す、と見世に寄ってみると、なにか可愛らしいものが並んでいた。
「これは、なんですか?」
ウサギがたのものを指 差して、彰紋は興味深々に訪ねる。
「ああ、これはね。練りきりだよ」
甘いお菓子のことだとおばさんは説明する。
イ サトもそんな菓子は見たことがないのでふうん、と感心して話を聞いた。
彰紋はとちゅうで「あ」と思い立ったように声を上げる。
「ど うした?」
「これ、一度神子から聞いたことがありました」
「へえ、なんて?」
「甘くて、可 愛らしいお菓子があるのだということ。
 他にもお花の形のものなんかがあるらしいです。とてもきれいだとか」
そ う云いながら、彰紋はすでに会計を済ませていた。

「二ついただきました。一緒に食べましょう」
「え、 おまえいつの間に……」
まあ、いいか。と苦笑して、イサトは彰紋に手をひかれるまま歩き出す。
いつもなんやかん やで彰紋に強引に遊びに連れていかれている気がする。
それも夢だったんだっけ?いや、そっちが現実だっけか……
も うどちらが現なのかわからない。
けれど、楽しいことに変わりはないのでそのまま散歩がてら東寺の方へと歩き出す。

「彰 紋、東寺なんかでいいのかよ?」
「ええ、僕けっこうあの塔好きなんです」
ニコニコしながら、彰紋は木陰に腰をお ろした。
すこし小高くなっているところで、風通しも良く見晴らしもなかなかいい。
春風がさあっと二人の間をかす めて行った。

「はい。これ、イサトの分です」
手を出して、という彰紋に片手を差し出すと、 手の上に
ちいさなウサギが乗せられた。
まっしろな体に、赤い眼。
可愛らしい兎の練りきりが こちらをじっと見ている。
「かわいいなあ。なんか食べるのもったいないな」
「そうですね、こんなに可愛く作れる なんて、職人さんはすごいですよね」
そんな他愛もない話をしながら、彰紋はウサギを口に運んだ。
「頭としっぽ、 どっちから食べます?」
「えー?こんなちっさいし、なんか割るの忍びないから一口で食う」
「あはは。イサトらし いですね」
「どういう意味だよ」
本当に、他愛のない話。
なにか大切なことを忘れているよう な
そんなことさえ忘れてしまいそうな時にイサトはふと話題を戻そうと切り出した。

「あの さ、彰紋」
「はい?」
ウサギを平らげて、満足そうな顔の彰紋に問いかける。
「おまえ、東宮 位降りたんだよな?」
「ええ」
彰紋は東宮であったころ、気軽に京を歩き回れるような立場ではなかった。
だ からこそこうしてイサトと買い食いできたことに満足げな顔をしているのだろう。
しかし、それにしても矛盾点が多すぎる。
「…… お前の甥っ子……今の東宮がうまれたのって、いつだ?」
「……っ」
彰紋は苦虫をかみつぶしたような顔をする。
ふ と顔をそむけ、すぐに笑顔に戻って切り返した。
「ああ、あの子は四年前に……」
「ウソだろ?」
「……」
「お まえ、さっき先日まで自分が東宮だったっていったぞ?」
「……ええ、ですから皇位が移ったのはつい先日で」
「ま てよ。オレ、あの子供……今日初めて見たけど」
次こそ、彰紋の口が止まる。
つぐんだまま何も言わなくなってし まった。
「……ふつう、天皇の子が生まれたら公表するよな?」
「……」
彰紋ははぁ、とため 息をつく。





「……本当は、 分かっていたんですよ」
小高い丘からは東寺の境内を走り回る僧兵が見える。
これがいつもの風景。
そ の中に、イサトによく似た人も見える。
おかしい。
「……彰紋、これは……」
言おうとした瞬 間に口をふさがれた。
彰紋のイサトより一回り小さな手が、必死にイサトの口を押さえている。
大きな瞳に涙をた め、眉をよせて彰紋は首を振った。
「……言わないでください」
なにかイライラして、手を振り払う。
一 瞬ためらってから、イサトは叫んだ。
「お前の夢だ」
彰紋はきゅっと目をつぶってうつむいた。
鳥 の声だけがしんとした春の空気を渡っていく。
花の匂いが、しなくなった。
「……」
彰紋はも う一度ため息をついた。

「言わないでと、言ったのに……」
「……ふざけんな」
イ サトは眉間にしわを寄せ、彰紋の顔を睨みつける。
「何から逃げてんだよ、お前は」
「……逃げる?」
彰 紋はわからないといった風に眉を片方あげる。
そして、にっこりと笑って見せた。
場違いな笑みに驚いて一瞬引いた すきをつかれ、肩を突き飛ばされる。

「人聞き悪いこと、言わないでください」
「……な、事 実を言っただけだろ!」
突き飛ばされても、後ろにとっさに手をついたイサトはすぐに上体を起こして反論する。
彰 紋はそれに馬乗りになり、イサトの肩に手をかけた。
「別に、僕逃げてるつもりはないですよ?」
「じゃ、なんだよ この空間は!」
イサトはだんだんといらだちを募らせて彰紋の胸倉をつかんだ。
彰紋はものともせずに反論する。
「夢 を見て、何が悪いんです?」
「……っ」
夢を見ることは何も悪いことではない。
それを否定す ることはできないし、それを止めることもできない。
けれど、限りなくうつつに近く作り上げられたこの幻想の世界を
イ サトは気持ちのどこかで恐れていた。
なんの罠なのかわからないままはめ込まれた自分がおびえているのをごまかすため
虚 勢を張って怒っているのかもしれない。

「それに、なぜ夢と云い張れるんですか?これが現の可能性だってある」
彰 紋はなおも気丈に言い張って見せる。
イサトはすぐに反論して見せた。
「これがお前の精神世界なのは明らかだ。ま ず、人が少なすぎる」
イサトは怒っている割に冷静に分析を始めた。
「お前はさっき朝だから人が少ないといった。 それは思い込みだ。
 朝っつーのは普通人が多いんだ。それが庶民の暮らしだ」
「……」
「あ と……」
「もういいですよ。……夢です。きっと」

イサトがさらにたたみかけようとしたと き、彰紋はあきらめたように笑った。
「……」
イサトは口を閉ざしたままそれから何も言えなくなる。
「そ んな顔しないでください」
彰紋は悲しそうに笑う。
「……これは僕の願望です。あなたの言うとおりですよ」
彰 紋はぽつり、ぽつりと話し始めた。
「自分が東宮でなければよかったのにって、きっと心のどこかで思ってたんです」
イ サトはなおも自分の上からどこうとしない彰紋を仕方なく見つめ、
話を黙って聞いていた。
「東宮でなければ、好き なことができる。
 好きな時に好きな場所へ出かけ、身分を気にせずにふるまえる。
  大好きな図書寮でずっと本 を読んでいられるし、あなたにお貴族様と揶揄されることもなくなる」
止まることなく彰紋は自分が東宮でなければどれだけよかったかと 話す。
イサトはだんだんとやるせない、そして腹立たしい気持ちが膨れ上がっていくのを感じていた。
「僕は、こん な身分に生まれたかったわけじゃない」
その台詞を聞いた瞬間、何かの糸が切れたようにイサトは彰紋の頬を思い切り平手打ちしていた。
い つしたのか、自分でもわからなかった。
ぱしん、と乾いた音が響いたのだけ、聞こえた。

「……っ つ」
彰紋は殴られたところを押さえたまま、俯く。
「……ほざけ、馬鹿野郎」
イサトは怒鳴る でもなく震える声でただそう呟いた。
彰紋の唇から、叩かれた衝撃で切れた場所から出血したのか一筋血が流れ落ちる。
「オ レだってこんな身分に生まれたくなかった!
 こんな時代に、こんな世界に、こんな身分に!それでも生きて来た!」
イ サトは噛みつくようにまくし立てる。
「いつも逃げようとしてた。死んじまいたいって。でもあいつが来てから変ったんだよ
  お前だって変っただろ。運命に逆らって逃げるんじゃなくて、自分の手で変えるって」
彰紋は黙って何をいうわけでもなく感情のない瞳で イサトの言葉を聞く。
「お前がやってることは、逃げなん……っ、」
言おうとした瞬間、言葉を飲み込まれた。
口 の中に鉄臭さが広がっていく。
気持ち悪い。逃れようと身を捩ろうにも、後ろは芝生。もがいているうちに後ろに転げてしまう。
だ んだんと酸素がなくなっていくので、肩を強く叩いて離すように乞う。
すると不機嫌そうに唇を離し、彰紋は自分の唇を拭った。
「逃 げ、逃げって、うるさいんですけど」
悪態をつくようにそう言って彰紋はため息をついた。
「……な、っ」
イ サトはその態度に驚き、次の言葉を探す。
彰紋は鼻で笑って続きを話し始めた。
「僕の夢に入ってきたあなたも、僕 の夢に来ることを望んだからここにいるんですよね?」
「……わかんねぇ」
「だって、そうでしょう?僕があなたを 望んだ。イサトもきっと僕を望んだ。だからここにいるんですよ」
たぶんね。と言いながら彰紋はあたりを見回す。
「見 事に京を再現している。けれど、いくら僕でもわかります。これが偽りの現、いえ、夢であるということくらいは」
あのあたり、ちょっと 歪んでいますね。
そういいながら後方の山を指差した。
「夢です。まあ、完璧とはいかなかったようですね」
イ サトは彰紋を無言で睨みつける。
「おまえ、初めから……」
「ええ、気づいてましたよ。なんか変だって」
く すくす、と笑いながら彰紋は答えた。
「むしろ、イサトのほうこそ気づくのが遅かったみたいですよね」
「じゃ、な んであんなこと……!」
「そんなの夢の方が心地いいからに決まってます」
彰紋はふと遠い眼をしてそう言った。
イ サトはぐっと言葉を詰まらせる。

「あなたにはわからないでしょう?イサト」
彰紋はイサトの 前髪を払いながら、耳元で囁く。


「僕の 身分の重圧」

い つもより数段低いその声に、イサトはびくりと肩を強張らせる。
彰紋は口角を釣り上げて不気味に笑うともう一度イサトに唇を重ねた。
「ぅ、 んんっ……」
一度目より深く、絡ませる感覚に身をよじる。
顔の横に着かれた手のせいで、うまく逃げることができ ない。
ようやく唇が離れたと思って息をつこうとしてもまた歯列を割って舌が入り込んでくる。
「……っ、 ふ……ぅ、…」
何か喋ろうとしてもかき消すように執拗に唇でふさいでくる。
「鬱陶しいんですよ、あなたのがなり 声」

鳴いてればいいのに。

ぼそりとつぶやいた言葉に身の毛がよだっ た。
今、なんて言った?

言うなり、イサトの着物をぐい、と引っ張って中途半端に乱し始め る。
抵抗しようとばたつくが、どうにも力でねじ伏せられてしまう。
「……っ、なんで」
オレ のほうが、力は強いはずなのに。
「僕の夢の中なんで、たぶん思い通りにいくみたいですね」
にこにこしながら彰紋 はそんなことを言ってのける。
イサトは血の気が引いていく気がしてきた。
「なに、勝手なこと……っん、」
ひ やりとした彰紋の手が素肌に滑り込んでくる。
びく、と体をはねさせると彰紋は鼻で笑って吐き捨てるように一言言った。
「あ れ?なんですか?」
「ゃ……ぅ、彰紋っ」
「この程度で、なんなんですか?」
あはは、と明る く笑って彰紋は手の位置を下げていく。
イサトは足をバタつかせるけれど、彰紋はちっともよける気配がない。
それ どころか余計調子に乗り始めている気がする。
「……クソッ」
「かわいくない声、出さないでください」
彰 紋は不機嫌そうに片眉だけ釣り上げて、何の前触れもなく
イサトの中に人差し指と中指を突っ込んだ。
「っひ、ぁ あっ、あ!」
痛みが強すぎてまともな言葉が出てこない。
ぎゅっと目をつむってイサトは痛みに耐えようとした。
ふ るふるとまつ毛を震わせているイサトを見て、彰紋はうれしそうに笑う。
「ああ、やっと可愛らしい声が聞けた」
普 段より数段高い声を上げさせられてイサトは恥ずかしさと怒りに震える。
「な、にし……て」
「なにって、なにです よ」
また彰紋はあははと笑う。
それがあまりに朗らかなので、なんだか訳がわからなくなってくる。
が つがつと容赦なく動き回る彰紋の指に、痛いのか何なのかもわからなくなってくる。
口を開いていてはまただらしなく声が上がる。歯を食 いしばろうとすると、
だんだんと彰紋の顔が不機嫌になってくるのが見えた。
「なんで声、殺すんですか?」
あ いている方の指で、イサトの唇をなぞる。
無理やりにこじ開けようと指を突っ込むも、必死に歯を食いしばるかたくなな態度にしびれを切 らして
彰紋はイサトの中の指を一本増やした。
「……い、……ぁあっ、あ!」
痛みのあまりに 上がる声に、彰紋は開いた歯列の間から指を滑り込ませる。
「もったいないので、ちゃんと鳴いて下さい」
意味のわ からない要求に泣きながらイサトは彰紋を睨みつけた。
ぼろ、と痛みのせいで涙が一粒零れ落ちる。
彰紋はそれを見 逃さず、舐めとった。
「痛いんですか?」
「……ぃた、んんっ」
聞いておきながら何か喋ろう とすれば遮るように動きを激しくする。
イサトはだんだんと意思疎通がいかなくなることにいら立ってきた。
けれど 頭の奥が霞がかったようになって、それもどうでもよくなってくる。

「……痛くしているんですから、痛いですよ ね」
彰紋は耳元でそう囁いてくる。
なおも指は口内に入り込み、奥の方まで突っ込まれているせいで
呼 吸もうまい具合にいかない。
「っは……、ぁ」
唾液がだらしなく唇の横を伝うのを感じ、一種のあきらめまで覚え た。
肩で息をしながら、イサトは視線を合わせたくなくて目を閉じる。
「いいですね、その顔」
い いながら、いきなりイサトの中の指を引き抜いて穿き物をずり下げる。
そのまま引き寄せて、彰紋は自分の上にイサトを乗せた。
「ぃ、 やだ、彰紋……っ、離せ」
「え?なにが嫌なんですか?あんなに鳴いてたのに」
嫌なはずないんだけどな。
そ う笑って、彰紋は立ち膝でいたイサトの腰を掴んで下へ引いた。
酷い圧迫感と質量にイサトは一際高く声を上げる。
「う わあ、女の子みたいですね」
けらけらと笑って彰紋はイサトの頬を撫でた。
真っ赤に染まった頬が、さらに赤くな る。
短く吐き出される息に小さく震える肩、その様子に彰紋は口角をあげた。
「ねえ、これ、もしかしてイサトの願 望ですか?」
「っ、ちが……、ぁ、あ!」
いきなりの揶揄にイサトは顔をしかめる。
「じゃ、 僕の願望かな」
体裁とか、気にしないでいいっていいですね。
そんな風に言って笑うと、彰紋は下からイサトを突き 上げた。
がくがくと髪が乱れるほどに揺らされて、イサトはその感覚と同じペースで声を上げ続ける。
「そんな大声 で鳴いて、ちょっとはしたないですね」
聞かれますよ、と彰紋はイサトの耳にささやく。
イサトは耳を真っ赤にして 反論する。
「お前、の……せい、っ、じゃん、……っか!」
ようやく発せた言葉も次には意味のない羅列に変わって いく。
「まあ、僕は別に聞かれてもいいんですけどね」
もう東宮ではありませんし。
自嘲気味 にそういうと、彰紋はイサトの頬にひとつ口づけた。
イサトは、その表情の変化に気づき、ふと切なげな顔をした。
「…… どうしたんですか?」
彰紋はその顔に驚いてイサトの顔を覗き込む。

「……い」
「え?」
「…… 嫌いじゃ、ない」
イサトの言葉を聞こうと、彰紋は動きを止めた。
「お前が、東宮でも、なんでもいい。貴族でも、 なんでも、大事な仲間に変わりない」
「……イサト?」
必死で息を整えてイサトは話をつづけようとする。
イ サトは痛みをこらえながら大きく息を吐いて、唇だけを動かした。

不安だったんだろ?

彰 紋ははっとしたような顔をして、潤んだ瞳を逸らした。
「なにが……」
「オレ、貴族なんて……きらいだ、と か……っ、お前の事結構傷つけてさ……」
彰紋の頬を一滴涙が伝った。
なんだ、お見通しだったのかと急におかしく なってくる。
「そりゃ、嫌にもなるよな。……ごめんな」
イサトは眉を八の字にして苦しそうに笑った。
「…… イサ……っ」
制止しようとすると、額にひとつだけ口付けが降ってくる。
「許せなんていえねえよな」
イ サトはごめん、ともう一度告げ、彰紋の頭を抱え込むようにして抱きしめた。
「だから、おまえにこんな夢みせちまってんだ。お前が逃げ んのも無理ねえよな」
ごめん、ともういちど言いながらイサトは彰紋の頭を優しく撫で続けた。
彰紋はどうしていい のかわからなくて、ただイサトの胸に体を預ける。

「不安なんて……」

言 いかけて、彰紋は口をつぐんだ。
以外にもすべてを知っていたイサトに戸惑いながら、これ以上イサトが言葉を発さないように口を塞ぐ。
「ん……」
少 しの配慮が入った深い口付けに、イサトは目を閉じた。
「……何も、……」
「あるくせに」
イ サトは唇を離したあと彰紋と目を合わせて笑う。
「どんなんでも、やっぱお前のこと嫌いにはなれねえよ。安心しな」
彰 紋は少しふてくされて反論した。
「……うるさいですよ。どうなっても、知りませんから」
イサトを強く抱きしめ て、もう一度動き始める。
イサトは体力の限界だったのか、すぐに意識を飛ばしてしまった。
ぐったりと彰紋の肩に もたれかかるイサトに、繋がりを解いた彰紋は小さな声で尋ねる。


「どうして、イサトにはわ かってしまうんですか?」



悔しそうに眉をひそめ、彰紋も春のうららか な風にまどろんでいった。














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そ れから、どれくらい時間が経ったのか、霧が晴れていくのを感じた。

季節は、春ではなく、場所はまた天界へと戻っ ている。




「……っ」
イサト は、急にうつつに引き戻されて気まずそうに彰紋を見た。
夢だったんだろう、そう言い聞かせて立ち上がろうとするが、体に激痛が走って 思うように動けない。
「……イサト?」
彰紋はそっと手を差しのべた。

「な あ、彰紋」
「……はい?」
彰紋は悪びれない様子で答える。

「ごめん な?」
イサトは下から彰紋のうつむいた顔を覗き込んでまた謝罪の言葉を口にした。

本来なら 謝るべきは僕なんじゃないか。
彰紋は困り顔で答える。

「なにがですか?」

イ サトは煮え切らない感じで、反論する。
「……いいか、もう一回いう。お前の身分とか、そんなん関係ねぇ。
 オ レ、ちゃんと気づいたから。……お前はオレにとって大切な存在だってこと」
昔、オレが言ったことでどれだけお前を傷つけたのかもちゃ んとわかってる、と
イサトは頭をさげる。

「ごめん。だから、自分のこと否定すんな」
「…… え?」
「お前の、東宮として京を守って、良い政治をしていくっていう目標、はっきりいってすげえし
 オレもそう なったらいいなって思うよ。だからさ、その……それ、投げるような真似だけは……しないでくれよ」
誰もいないのをいいことに、彰紋は とっさにイサトに抱きついた。
「ちょ、おい……」
「……わかりました。……もう、逃げないです」
う ん、とうなずくと、イサトは彰紋の頭をなでる。

「あと、夢の中なのをいいことに した のも謝ります」
「へ?」

イ サトは先刻までの行為を思い出し、顔を真っ赤に染める。
やっぱ夢じゃねぇよな。

「え、ええ え、あぁ」
「なので、今度は、……ちゃんと 現で」

ね。
といって彰紋 は無邪気に笑った。

「え、ああ」

うなずいてから、イサトはあわてる。







「…… 待て!!」






ど ういうことだ、と問い詰める前に、
彰紋は他の八葉のもとへと走り出していた。








春 の宮






全 く、気まぐれな春の風と同じだ。



























END