冷 たい指









熊 野の道で再会した幼馴染に、違和感を感じ始めたのは
その二日後のことだった。
不健康なほどに白い肌、清流のよう に滑らかで繊細な髪
低く掠れた声。
どれも変わっていないと思ったのに、決定的に違うと思える部分があった。



「私 は、穢れているから」

手をつないで結界の中へ入ろうという望美を遮る発言。
自嘲気味につぶ やく声に、ヒノエは眉を顰めた。

「は?」


明らか に不機嫌の色をにじませてヒノエは聞き返した。

「いや……その……触れては、ならない」

敦 盛は目を伏せてそういうと、すぐに隊列の後ろへと下がった。
なんとなく気まずい空気が辺りを包む。

「熊 野権現には、神子たちだけで行ってくれ」
「ええ!?」

景時は大げさな声を出して驚く。

「こ こは神聖な場だから…私のような穢れがあるものは通れないのだろう」

敦盛はしかたのないことだから、という。
望 美はすぐに敦盛の手を取ると、そのまま結界へと進んでいった。

「神子……!無理だ」
「大丈 夫、私が手をつないでいれば入れますよ」

望美はニコニコ笑いながら敦盛の手を引く。
ヒノエ は一度敦盛をはじいた結界がすんなり彼を受け入れるのに少し驚きながら
感心するとともに、なぜ自分のはった 怨霊を阻むための結界  が敦盛を阻んだのか頭を抱えることになった。




「…… どういう……」

結界を緩めた覚えはない。
自分の力が弱いとも思わない。
穢 れた存在はちゃんと排除するように結界を張り、
かつ、何か不具合があればすぐに補うようにと烏たちにも告げてある。


な ら、どうして


一番考えたくないことが脳裏をよぎった。





----------------------

そ の日は頭領の面会ができないとし、勝浦の宿へと戻ることになった一行は
夕食を終え、就寝の支度をする。
その間も ヒノエはずっとずっと考え続けていた。


「ヒノエ、どうかしたのか?」
部 屋へと帰る途中九郎が話しかけてきた。
心配そうな面持ちで、顔を覗き込んでくる。

「え?オ レ?」
「ああ、先ほどからずっと思案顔だ。何か困り事でもあったのか?」
頭領には面会を許可してもらったのだろ う?と九郎は笑う。
「ううん、なんでもないよ」
「そうか?なにかずっと沈んでいるように見える。
  もし、俺でよければ相談に乗るからな」
「そりゃありがたいね。でも今はいいよ。ありがと」


か るく笑ってその場から離れると、ため息をついた。
―そんなに、わかりやすい顔してたのか。




自 室の扉を開けようとしたとき、不意に聞こえてきた音に足を止めた。


笛……?

振 り返ると、満月。
ああ、こんなに月が奇麗に出ている日は夜でも明るいものなんだ。
そう思いながら縁側から中庭に 降り立つと、見慣れた後姿が目に入った。
木陰に腰かけて、笛を吹いている

「敦盛?」

び く、と肩を震わせて、敦盛はこちらを振りかえった。

「何驚いてんだよ?」
「あ、ああすまな い……」

敦盛は笛を吹くのをやめ、篠笛を静かにおろして袂にしまった。

「あ れ?やめちゃうの?」
「ああ、……人に聞かせるようなものではないだろう」
「ふうん……オレはけっこううまいと 思ったんだけどね」
「……そうか」

敦盛は仄かに頬を染めてうつむいた。
褒 められると照れてしまって何も言えなくなるところも、昔と変わっていない。
なんとなく安堵して敦盛のすぐ隣に腰を下ろす。

「な あ、敦盛……」
「……なんだろうか」
「おまえ……なんか……変わった」
「……年月がたって いる。変わるのも当然だろう」
「いや、そうじゃなくてさ……」
月が雲に隠れ、互いの顔が暗くなる。
ま た雲が晴れ、月が互いの顔を照らす。
その間で、敦盛はため息を二度ついた。

「……穢れて る、とかさ?」
ヒノエは悪戯な笑い方で敦盛の顎をつかんだ。
「なにが、どう穢れてんの?」
息 がかかるほどの近さで耳元に囁きかける。
「……っ、ヒノエ、やめないか」
「……そうやってちょっとしたことで照 れるんだ、穢れてるとは到底……」
とん、と弱くヒノエの胸板を押して敦盛は切り返した。
「お前のいう穢れとはた ぶん違う」
ヒノエは目を丸くして、それからすぐに不機嫌そうに顔をゆがめた。
「へぇ」

月 が、また隠れる。
ごほごほと敦盛が咳きこんだ。

「おい、大丈夫か」
「……っ、 いけない、近づかないでくれ……」
ひゅーひゅーと喉の奥を空気が通る音がする。
異常なまでに呼吸が乱れているの ことに気づき、ヒノエは少しだけ動揺した。
「おいっ……敦盛」
「発作のようなものだ。しばらくす、ればっ……」
必 死に自分を遠ざけようとする敦盛にいら立ち、ヒノエは声を荒げた。
「なんで!言わないんだよそういう大事なこと」
「……っ」
「何、 隠してるんだ?お前……」
ヒノエは不安げに敦盛の顔を覗き込む。
呼吸が落ち着き始めた敦盛は眉をひそめ、答え た。

「気づいているんだろう……?」
「……っ」
だめだ

言 うな    言うな

お前の口から 真実を聞きたくない。



「私 が、死人であるということ……」

敦盛の瞳が一瞬赤く光ったように見えた。
ヒノエは息をの み、その次の言葉を紡げなくなってしまった。

「……」
「私は一度死んでいる。平家の術 で……怨霊としてよみがえった」
あまりに淡々と話すもので、ヒノエは嘘なのか真実なのかもわからないままその話をぼんやりと聞いてい た。

「だから……」
「やめろよ」
「聞きたいと言ったのはお前だ」
「…… ああ、だけど……」

うつむいたまま、口をつぐんでヒノエは目に涙をためていた。
月明かりに 濡れた瞳が光る。

「……ヒノエ?」
「くそ……っ」



敦 盛が死んだという話は
だいぶ前に耳にしていた。
神子の一行と出会ったときに敦盛を見つけた瞬間、
死 んだという話と今ここに彼がいるという現実
どちらが本当なのかわからなくなった。
けれど自分に都合のいい方、敦 盛が死んでいないという方を
無意識のうちに選択していたのだろう。
知らなかったわけではないし、平家のその秘術 のことも知っていた。
それなのにまず疑ってかかっていなかった自分を愚かだと思った。
というよりも、認めたくな いという情のほうが勝ってしまったことに泣くしかないのかもしれない。
何を信じるべきか
何を疑うべきか。
今 の自分には考えるための要素が少なすぎた。


「……仕方のないことだ。ヒノエ」
「い やだ……っ」
「いずれは、神子に封印してもらうことになるだろう」
「やめ……っ、それ以上」
「今 は八葉としてあらねばならないから……」
「言うなっ……」

「存在してはいけない存在だ。い ずれは消える。安心しろ」


無慈悲に告げられたその言葉にヒノエは耳を疑った。



安 心しろ?


ばさ、と衣擦れの音が大きく響いた。
とっさに敦盛の胸倉をつ かむ。
「安心なんて!」
「お前に、……神子に、仲間に危害は加えない」
「ちが……」
「だ から……安心してくれ」
にこり、と悲しそうに笑う。
いたたまれなくて、ヒノエは唇をかみしめた。
胸 倉をつかんでいた手の力が抜けていく。

「違う……」
小さく震えて、ヒノエは泣いていた。
そ ういうことじゃない。


「……ヒノ……エ?」
敦盛はヒノエの嗚咽に気づ き、背中をさすりながら顔を覗き込む。

「穢れ?……ふざけんなよ」
敦盛の瞳をきっとにらみ つけると、ヒノエは歪んだ笑いを浮かべた。
「ヒノエ?」
「人を殺めることにも慣れてない、女を口説くのも慣れて ない、遊ぶことも拙い」
ぐい、と敦盛の後頭部に手を伸ばし、引き寄せて口づける。
敦盛は突然のことに目を白黒さ せ、ばたばたと身をよじった。
「そんなお前が、そんな純粋な奴が穢れてるだって?」
ふん、と鼻で笑い、ヒノエは 涙をぬぐった。
敦盛は触れた唇を手で押さえ、顔を真っ赤にして俯いている。
「……」
「うん とかすんとかいえば?」
「……」
「だんまりかよ」

ヒノエは悪態をつく とふい、と目線をそらし、そのままゆっくりとうつむいた。
敦盛は小さくため息をつく。
そのため息にさえいらだち を感じ、ヒノエは立ち上がった。

「なんだよ!今度は呆れたっての?」
「……いや、ヒノエ。 その」

敦盛は額に軽く右手をあて、眉間にしわを寄せた。





「そ の、あまり煽らないでくれ」






小 さな唇から転がり出てきた低い声は思いもよらないセリフを紡ぐ。
ヒノエは驚けばいいのか、怒ればいいのかわからなくて一瞬硬直した。


「煽 るだ?……おまえ、何言っ……」

敦盛はじっとヒノエの瞳を見つめていた。
月が、隠れて、そ れからもう一度顔を見せる。
それを、1、2回繰り返して、空が月明かりで明るくなる。
照らされる敦盛の顔があま りにきれいで、ヒノエは次の言葉を探すこともできなかった。
ああ、背筋が凍る美しさってこういうことをいうのか。
そ んな風に考えながら、ヒノエはもう一度腰をおろした。

「……ヒノエは、気づいていないのか?」
「…… 何に?」
「……その……。いや、なんでもない」
「なんだよ」
「なんでもない」
「言 えって」
「気にしないでくれ」
「……なんなの?」

苛立ち、ヒノエは敦 盛の肩をつかむ。
敦盛は一瞬びくり、と肩を強張らせたが、そのままヒノエの方を向くと
静かに両手でヒノエの頬を 包んだ。

「敦……」
「静かにしてくれないか」

冷 たい指先が頬をなぞった。
ゆっくりと敦盛の顔が近付き、ヒノエの影と重なる。
ほんの数秒だけ触れて、優しく離れ ていく。

「……っ」

今度はヒノエのほうが顔を真っ赤にして敦盛を見つ めた。

「まるで、女性のようだな」

敦盛は苦笑いして、ヒノエの髪を撫 でた。
ヒノエは馬鹿にされたようで、恥ずかしくなってなおさら顔を赤らめてしまう。

「あ、 敦盛、おまえ……」
「なんだろうか」

けろりとした顔で敦盛はヒノエの瞳を覗き込んだ。
そ れがあまりにも自然な動きだったので、
ヒノエはそれ以上何もいう気が起らなかった。
何があったのかを忘れさせる ほどに、敦盛は自然だった。

「……なんだっけね」

ヒノエは濁しながら ふい、と顔をそむける。
くすくすと背中越しに敦盛の笑い声が聞こえた。

「なっ……おま えっ……!」

勢いよく振り返ると、敦盛はそのヒノエの肩をつかむ。
驚いてたじろぐヒノエを 鼻で笑って敦盛は目を細めた。

「……ヒノエの方こそ、純粋だな」
「純粋?オレが……?」
ヒ ノエは眉をひそめて反論しようと口を開いた。
とたん、唇をふさがれる。

先刻とは打って変 わって荒々しい口付けにヒノエはたじろぐ。
追いかけるようにして敦盛は背後の木へとヒノエの体を押し付けた。
「ん、……っ」
「や はり、変わらないな」

敦盛は唇を離すと、わずかに目を細めた。
ヒノエはぐったりと背中を大 木に預け、敦盛の顔を見上げる。
端正なのに男の顔をしている敦盛にすこしだけ驚いた。
じっとみつめていると、敦 盛は冷たい掌でヒノエの目を覆った。

「閉じていてくれ」
「あつも……」
「見 ないでほしい」

こんなにきれいなのに。


「見た ら、ダメなのかよ」
「ああ」

きっと今の私は醜い顔をしているから。

耳 のそばで低く呟いて、敦盛はヒノエの首筋にひとつ口付けを落とした。
依然としてひんやりとした手がヒノエの視界を遮る。





「…… まだ?」
「ああ」

敦盛は小さくため息をついて、その次の言葉を探すように黙り込んだ。
風 の音だけが二人をかすめていく。
敦盛の眼は怨霊の性である赤色を浮かべ、すがるように何かを探していた。



「ヒ ノエ、落ち着いて聞けるか?」
「……わからないね。まあ、話しなよ」

お前の話が落ち着ける 内容かどうかによるだろ。と吐き捨てると
敦盛は笑った。
「到底、静かに聞いてくれるとは思えないな」
「い いから、わかった。静かにするよ」

その言葉を聞いて、敦盛はようやくヒノエの視界を解放する。

「い いか、ヒノエ。私から目を逸らさないでほしい」
そう聞こえた直後にヒノエの目に飛び込んだのは
血のように赤い瞳 だった。
背筋が、凍りつきそうになる。
旧知の友人なのに何を怖がる必要があるのか。
それな のにヒノエは軽くおののいた。
「……っ」

「この通り私は怨霊だ。平家の死反の術でよみが えった。意思とは関係なく、蘇らせられた」

敦盛は多少調子が悪そうに、けれど淡々と身の上を語り始める。

「鎖 で戒めているが、凶暴化した力は時に抑えられない」
「……ああ」
「もしかすると、大切な仲間を傷つけるかもしれ ない。
 だから、私は皆と距離をとることがある。決して皆を疎ましく思っているわけではない」
「知ってるよ」
「…… ただ、傷つけたくない。それはヒノエ……お前もだ」
「……っ、知ってる」

ぽた、ぽた、と頬 を何かが伝うのを感じた。
泣いているんだ。認めたくなくて、ヒノエはうつむいた。
ぎゅ、と服の裾を握りしめ、や り場のない拳を強く握りしめる。

「……だから、触れたくても触れられなかった」
「……」
「私 が本気でお前と距離をとりたがると思うか?ヒノエ」
「……思わない、よ……?」
「気持はあの頃から変わってなど いない」





水車を作った熊野 の夏
鯨捕りへ出かけた青い海
大人たちに驚かれ、こっぴどく叱られた白い砂浜。
緑の森に、水 晶の滝。
どれも鮮やかに残っている。

--------------------------------





「今 度は、何をして遊ぼうか?」











「あ まり、派手なことはしない方がいいと思う」






「バッ カ!派手じゃねーとせっかくの夏が台無しだぜ!」



裸足で先を走り抜け ていくヒノエ
いつも生傷の絶えない白い足
いつだって面白いことを探して輝いていた瞳。
内に こもりがちで、なかなか派手な遊びができなかった敦盛を太陽の下へ引っ張っていったのは
いつもヒノエだった。

い つもいつも、視線の先には














お 前がいた。












-------------------------------






「死 人であり、怨霊である私がこのように思い出に浸るなど、滑稽かもしれない」

敦盛は自嘲を含んで笑った。
ヒ ノエは、小さく首を振る。


「覚えててくれたんだな」
「当たり前だ。あ の頃は……私の宝物だから」


だから再会できた時は本当にうれしかった。


敦 盛は小声で言ってヒノエの固く握りしめた拳を、そっと上から包むように握った。



「怨 霊の身なのに」

「そんなの、関係ないだろ」

オレだって、うれしかった さ。
そう言ってヒノエはそっと握りこぶしをほどき、敦盛の手に指をからめる。

「いや、理か ら外れた身であり、許されることはないのに思ってしまうのだ」





” 蘇ってよかった”と。


敦盛は悔しそうに視線を外した。



「敦 盛……っ、」
「落ち着いて聞け、ヒノエ。私は……
 八葉としての役目を終えればきっと封印されるだろう」
「そ んな……」
「いや、封印されねばならない」
「そんなこと……」
「怨霊は例外なく、封印され るべきだ。穢れであることに変わりはない」

消えるな
と唇だけがから回る。

「ヒ ノエ……ありがとう……」

きえるな
きえるな
 オレのそばから

き えないで

うまく音にならず、嗚咽と一緒にとぎれとぎれに唇だけが形を紡ぐ。

「ヒ ノエ……」
敦盛は困り顔でヒノエを空いた方の左手で抱きしめ、背中を撫でた。
しゃくりあげ、子供のように泣き続 けるヒノエは
顔を見られないように敦盛の胸に押しつけて泣いた。

月が姿を消すまで
空 が白むまで、二人は抱き合っていた。



確かに存在したことを 確かめる ために。



――― できることならば




消 えなければいいのに





消えた くないのに


できることならば ―――






暖 かい これが 生きているということか。










――――――  冷たい   こいつは   死んでいるんだから。





た だ、壁は  生死  という二文字だけなのに 
 こんなに近く  こんなにも遠い。






END